多くの大人が決して言わない「残酷なお金」の現実 「手取りはすべて使い切り、職業はこう選べ」
自分の技術や知識を向上させるために、お金をどんどん使う。
若いうちは、この自己投資という考え方はとても大切だ。幻冬舎社長の見城徹さんが「35歳までは貯金はいらない」とおっしゃっていた通り、僕は初めての本の出版でいただいたお金(印税という)もすべてすぐに使い切った。見城さんから教えてもらった一流レストランに、大切な友人や彼女(今の奥さんだ)と次々に行き、あっという間にゼロになった。
でも、そのおかげでいろんな人と人間関係を深めることができたし、目が飛び出るほど美味しいものも食べられたのだ。これもまた自己投資であったと思う。
とまあ綺麗事を並べ立てたのだが、結局のところ僕はお金が嫌いだった。
お金に媚びる自分も、お金の持つ魔力(実に多くの人の人生を台無しにする)、お金の存在そのものが嫌悪の対象だった。さらに本音を言えば、僕という人間はひとたびお金を求め始めたら止まらなくなり、金の亡者になってしまうだろう恐怖があったのだ。
お金持ちは偉く見えて媚びてしまい、お金を持たない人は蔑む。そういう、自分が一番なりたくない種類の人間になってしまいそうだった。だから、お金を自分から遠ざけたのだ。自己投資だと思っていたのは30%くらいは事実だけど、残りの70%はそういう理由でお金を貯めなかった。
僕の直感はある程度は当たっていて、たとえばお金がたくさんあってもちっとも幸せそうじゃない人を僕は何人も知っている。一方で、お金はないけど毎日楽しそうな人もたくさん知っているのだ。お金の多寡 (多い少ない)だけで、幸せかどうかは決まらない。
学校では教えてくれないこと
ここで、多くの大人が言わない、しかし一番大切なことを言いたい。
「お金で買える幸せは、確実に存在する」ということだ。
お金ってなんだろうか。君たちが大人になる頃には紙幣とか貨幣という形はめったに見なくなるかもしれないが、お金とは、「価値と引き換えができるチケット」だ。チケットがわかりづらければポイントでも権利でもいい。
価値とは、たとえば美味しいご飯だったり、綺麗な服だったり、大きな家だったりする。僕は毎日病院で大腸がんという病気にかかった人を、いろんなリスクを背負った上で治し、国からお金をもらった病院は、僕にその一割くらいをくれる。僕が差し出した価値を、チケットとしてくれるのだ。
それをそのまま「いつか僕が大腸がんにかかった時に治せる券」としてだけ使えるのではなくて、これが君たちを遊園地でジェットコースターに乗せたり、雨の日に使う傘を買ったりするために使えるのだ。とても便利だ。
「お金で買える幸せは、確実に存在する」
どういう意味か説明したい。
僕の親にお金があったから、僕は医者になるという夢を叶えることができた。一生懸命、病院で働いてお金をもらっているから、トンカツ屋さんだってうどん屋さんだって好きな時に行けるのだ。そして、僕は今お金を貯めている。ある日、僕がさらわれたり死んでしまったりして突然いなくなっても、君たちが自分でお金を稼げるようになるまで(日本ではだいたい大学卒業の22〜24歳までだ)にかかるお金を貯めているのだ。
このお金があれば、僕がいなくても君たちは好きな学校に行けるし、大学を出るまでお金に困ることはあんまりない。君たちのママだって、大変な思いはするだろうけど飢え死にすることはない。
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