多くの大人が決して言わない「残酷なお金」の現実 「手取りはすべて使い切り、職業はこう選べ」
だから僕は今、必死でお金を稼ぎ、なるべく使わないようにしているんだ。
貧乏が恋愛まで影響する
そして、もう一つお金について大切なことを伝えたい。
「お金は、嫌なことを減らす道具である」ということだ。前述したように防具と言ってもいいし、ディフェンス力を上げるものとも言える。
お金があるから、寒い日に暖かい服を着て風邪を引かないですむ。お金があるから、誰かが困った時にすぐ飛んで行ってあげられる。どうしてもお金が足りなくて困っている人に、そのままあげることだってできる。
そしてすごくお金があれば、やりたくない仕事はやらなくていいし、好きなことだけをして生きていける。もっともそんな人はほとんどいないし、好きなことだけをして生きていても3日で飽きるらしいけれど。
僕は、15歳の時に、「小説家になろうか」という思いが頭をよぎったことがある。
小説家はどうやったらなれるのかよくわからないけど、すぐなれそうな気がした。本を読むのは好きだったし、書くのもきっと上手だろうと思った(のちにそれは勘違いで、大変なトレーニングが必要だと気づく)。
一方で医者になるには、大学の医学部に合格しなければならない。医学部の偏差値は高く、入るのがとても難しい。特に英語と数学と理科が壊滅的にできない僕の成績では、絶対に入れない気がした。
1年間ずっと悩んだ。ここで一生が決まると思ったからだ。
その時、『青春の蹉跌』(石川達三・著)という小説を読んだ。これはぜひ中学か高校の時代に読んでほしい本だ。司法試験という、日本で一番難しいとされる試験の合格を目指す大学生が主人公だ。貧乏で、お金を借りて学費を払い、そのことが恋愛にまで影響して苦しむ話だ。
僕はこれを読んで、「まずこの世界できちんと金を稼いでいかねばならない」と思った。
この世界は生まれつき金持ちな人がいる一方で、そうでもない人が大勢いるというとても不公平なところだ。そして、確実なことなどほとんどない、予測不可能な場所でもある。そんな場所で、しかしひとりで金を稼いで生きねばならない。これは大変なことだ。
そしてとても残念な事実だが、この世界は誰かに勝たなければ、誰かから奪わなければ自分の持ち分は増えない。僕が医学部に入った分、誰かが落ちているのだ。少なくとも、誰かに勝たなければならないのだ。
小説家では、金など稼げそうにない。僕が通っていた中学・高校では、学年で何人か面白い作文を書いたものが選ばれ、聖光芸苑と名付けられた小さい冊子に載せられるという取り組みがあった。僕は一生懸命いろんな文章を書いたけど、聖光芸苑に載ったことは一度もなかった。
同級生の中には、本格的な小説を書いて載せているやつがいた。この200人の中だけでも選ばれない僕の文が、本屋さんに並び、同時代の天才作家たちだけでなく、夏目漱石や太宰治と戦う。まったく想像がつかないことだった。
僕は「小説家になりたい」というカードをそっと心の奥底のポケットにしまった。僕は頭も良くないし、何か天才的なセンスがあるわけでもない。
だから、情けないけれども国家に保証してもらう資格に頼ろう。そう思い、医者という道を選んだ。僕の自己分析は不幸にも当たっていて、受験勉強に苦しみ、高校を出てから丸2年も予備校に通う羽目にはなったのだけれど。
まさか医者になってから「小説家になりたい」が顔を出してくるとは思わなかったし、本当になれるとは思っていなかった。でも、僕みたいな考え方もあるよというお話だ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら