「親の希望で国公立受験」4浪日大進学の彼の挫折 浪人中にデパートでバイトし心変わりする

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各予備校のいい授業の情報を仕入れ、単科コースで「つまみ食い」していたと語る野洲さん。ところが浪人の1年目は、成績の変化はなかったそうです。

「勉強に身が入らなかったんです。予備校に行っても結局、漠然と授業を受けているだけですし、自習室に行っても勉強モードに入らず、結局フラフラ遊びに行っちゃいました。それが結局、知識を使う練習や、絶対的な演習量の不足につながってしまったのです」

1浪目は8時間程度勉強しようと意気込んでいたものの、机に向かっていただけでまったく集中できず、ついついラジオに手が出てしまいました。

「ラジオ講座を聞いて勉強をしているふりをして、ずっと芸能人の番組を聴いていました。特にラインナップが充実している土曜日の深夜は、21時から翌朝の26時までずっとラジオを聴いていました。globe、中島みゆき、サザン、嘉門タツオとハシゴして聴いていた記憶ばかりあります」

こうした生活を続けていたため、偏差値は40台くらいでほぼ現役のときと変わらず、現役と同じように横浜市立大学や、明治、法政、東京理科大を受けて、全滅してしまいました。

「まだ浪人中なんです、と普通に言えた時代でした」と語るように、世の中全体で浪人生に対する寛容な空気感もあったことから、野洲さんはためらいなく2浪も決断します。

ところが、1浪目と同じように単科コースを取ったものの、偏差値は40台から変わらず、遊びに行ったり、ラジオを聞く生活を続けてしまい、全落ちしてしまいました。

「この年も、横浜市立大学や明治を受けていたと思うのですが、受験校を詳しくは覚えていません。受かればどこかに行こうと思っていたのですが、見栄を張ってしまっていたので、結局全滅してしまいました」

デパートでバイトを始めて心情に変化

しかし、3浪に突入したことで野洲さんの心情にも変化が起こり始めました。

「3浪に入って、ようやく浪人していることに負い目を感じ始めました。みんなそれぞれ大学生活や社会人生活を謳歌している中で、孤独に苛まれていました。

この年も前年までと同じように予備校の単科コースを取りながら宅浪をしていたのですが、勉強に行き詰まってしまったんです。そのため、気晴らしで6月くらいからデパートの催事担当のアルバイトを始めました。

最初は配送作業を手伝うだけだしいいかな……と思っていたのですが、マネージャーから、社員さんが病気で倒れたので販売員をやってくれと言われて。スーツで勤務していたら、秋にはマネージャーの推薦で契約社員になってしまったんです。

まだデパートがバブルの余波で華やかな時代だったので、日曜日にも勤務するようになりました。予備校の単科で受講している授業は週1で行っていたのですが、それ以外は、勉強からは遠ざかってしまいました」

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