社会人経験で意識が変わり、4浪で日本大学に進学した野洲さん。
彼は浪人してよかったことを「大人になってから大学に入れたことで、冷静に大学生活を送れたこと」、頑張れた理由については、「危機感を抱くことができたから」と答えてくれました。
一方で、大学に入ってからは、「年齢の壁が立ちはだかった」とも彼は語ります。多くの企業は2浪までしか応募できなかったことと、目標だったデパートが冬の時代を迎えたことで、将来の夢を考え直したそうです。
院に進んだがポストに残るのは難しかった
就職活動が難しくなり、大学卒業後フリーターになる若者も珍しくなくなってきた時代。そうした状況を受けて、文部科学省は大学院の定員を大幅に増やし、世の中には「モラトリアム大学院生」が増加しました。
野洲さん自身も、大学院に行くことを決断します。学びたい分野の先生が中央大学にいたため、中央大学の大学院に入って博士課程まで進み、中央大学経済研究所客員研究員になりました。
ところが、アカデミックのポストに残るのが難しかったため、師事する先生が退任したタイミングで大学での勤務を諦め、塾や予備校の講師を続けながら日々を過ごしています。
波乱万丈の半生を送ってきた野洲さん。最後に彼は、浪人を通して「目的意識を持つことができた」と話してくれました。
「私は社会人をしながら浪人をした経験のおかげで、社会から一歩進んだところからものが見れるようになったと思います。
その経験があったからこそ、自分が行きたかった中央大学の院に受かったとき、自分なりに当時の経験は無駄じゃなかったなと、自分自身の地位が上がった感覚になりました。あのときの経験は忘れられませんね。博士号も取得できず、今ももがいている日々を続けていますが、浪人で自己満足を得ることができたのは、よかったと思います」
終始、とても腰が低く、丁寧に話してくださった野洲さんの人柄は、浪人で培った苦労が、実になったものなのだと思いました。
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