半世紀も"主役"フロッピーディスクの栄枯盛衰 「なにそれ?」と知らない世代も増えてきた

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Apple IIと5.25インチFDDの組み合わせは、データ転送速度の遅いカセットテープを記録メディアとして使っていたユーザーの注目を集め、さらに表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク=エクセルの原型)」がビジネスマンを中心とする人々のニーズを捉えたことで、アップルの売り上げを大きく貢献した。こうして5.25インチFDは、ビジネス分野や家庭向け情報機器の記録メディアとして浸透していった。

普及した3.5インチFDはソニー製

FDの進化がさらに進んだ1976年、ソニーは当時新社長に就任した岩間和夫氏が「コンピューターのわからない会社は、90年代に生き残れない」との考えから、自社製コンピューターの開発を開始。1970年代末にはオフィスオートメーション(OA)分野、そしてマイクロコンピューター(MC)分野に向けたコンピューター関連機器を開発した。

そんな中、岩間氏は社内にシステム開発部を新設し「OA分野でのコンピューター機器」を開発するという目標を掲げた。そして、英文ワープロ製品のためのコンポーネントとして、それまで主流だった8インチおよび5.25インチFDを置き換える、さらにコンパクトな磁気ディスクの開発を開始した。

ソニーのエンジニアたちは、新しい磁気ディスクの仕様は3インチぐらいの大きさがいいと考え、さらに既存のフロッピーディスクでは一部磁気シート面が露出しているのを、シャッター機構で隠せるようにするため、ディスクを収めるスリーブを薄く硬いプラスチックケースに置き換えて設計した。

また、ディスクは小径化しても、記録容量は1MB以上とすることを目標に記録トラックを高密度化させた。その結果、記録および読み取りの正確性を確保するのが難しくなったが、ディスクの中心部にコインのような金属製のハブを取り付け、そこに回転用モーターの軸を固定する仕組みを採用して、ディスクの回転を安定させた。

こうした開発の結果、ソニーは1980年に3.5インチFDを発表し、これを搭載する英文ワープロシステム「シリーズ35」をアメリカ市場に投入した。

ところが、業界や市場では3.5インチFDのほうが注目を浴びることとなった。

(写真:Buntan2019/PIXTA)

ソニーはその後、アメリカでワープロ製品を継続して売るためには3.5インチFDのさらなる普及がカギになると考え、他社製品への採用を模索しはじめた。1982年には自社製パーソナルコンピューター「SMC-70」にもこの3.5インチFDを搭載して発売した。

状況が大きく動いたのは、ヒューレット・パッカード(HP)からこのディスクを採用したいという申し出が舞い込んだことだった。同年のうちにアメリカでは業界団体のマイクロフロッピー・スタンダード・コミッティ(MIC)が立ち上がり、ソニーはHPとともに3.5インチFDDの共同開発などを行いながら、ディスクの自動開閉シャッター機構など、細かい改良を加えた。

その結果、MICは3.5インチFD規格を全米規格協会(ANSI)に提案し、さらに1984年には国際標準化機構(ISO)によって国際規格としてのお墨付きも得た。アップルはこの年に発売したMacintochに3.5インチFDを採用し、さらにIBMもパソコン製品であるPC/ATにこれを採用。数多くのコンピューターメーカーが追随したことで、特にパーソナル製品向けの外部記録メディア大半が3.5インチFDという状況になっていった。

IBMも3.5インチFDDを搭載するラップトップ機を発売(写真:©Museo scienza tecnologia Milano /Licensed under CC BY 4.0)
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