堀江貴文「一点突破」で始める英語習得のプロセス まんべんなく「お勉強」しても身につかない

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とは言え、自分で目標を決め、アクセルを踏むためには、「学び」が不可欠だ。セミナーやオンラインサロンで「学校なんか要らない」と学校を否定する僕が言うと、矛盾を感じるかもしれない。

でも、僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。脇目も振らずに夢中になり、がむしゃらに取り組める体験の全てが「学び」だと僕は思っている。

「学び」と聞いたとき、多くの人は、いわゆる「お勉強」をイメージする。散々暗記させられた公式や年号の数々。教卓や黒板、教科書、ノートなどの小道具。つまり、学校教育に準じたイメージだ。

「お勉強」と「学び」の決定的な違い

こうした「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。下の表にその分類を示した。「お勉強」は、あくまで受動的な行為である。先生の話を聞いたり、テストを受けたり、ドリルを解いたり。企業の思惑通りに動く社員を養成する研修も同じようなものだ。要は、「与えられたものをこなす」作業である。

(出所:『いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力New Version: 君の未来を変える英語のはなし』より)

※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください

いくら「お勉強」をしても、「自分で行き先を決める生き方」にはたどり着けない。「お勉強」で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけなのだ。でも、「学び」を楽しんでいる人は違う。

没頭している人にとっては、正解が見つからないことも、みずから動かなければ取り組むべき課題が見つからないことも、没頭する対象がある限り全ては「楽しい」ことなのだ。だから彼らは好んで「トライアル・アンド・エラー」を繰り返し、成長していく。(日本語では「トライ・アンド・エラー」という言い方が定着しているが、英語ではtrial and errorである)

没頭は人を決して立ち止まらせない。常に人を前へ前へと押し出し、新しい体験をつかませようとする。あらゆるイノベーションを生み出すのは、「お勉強」ではなく「学び」だ。夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考を巡らし、失敗を恐れずに試行錯誤を重ね、努力や苦労の過程さえ楽しむことができるのだ。

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