僕の師匠筋といえるのが井原高忠さん。僕が入っていたバンドのリーダーで、「11PM」などを手掛けた日本テレビのプロデューサー。テレビ界の歴史に残る人だと思います。その井原さんと僕と、井上ひさしさんがつながっていた。
今年、ハワイで井原さんと久しぶりに会ったときにも井上さんの話が出てね。「偉い人だとは思っていたけれど、亡くなった後、特別に偉い人だったことがわかったよね」と話していたんです。
2010年に亡くなった井上さんの、最後から数えて2番目の演劇作品が『ムサシ』。実は、今から20年以上前にニューヨークで上演する予定だった。一部顔合わせもしたけれど、そのときは結果的に書き切れなくてボツになっちゃった。それから17~18年経ったある日、突然僕に電話がかかってきた。「堀さん、今年中に『ムサシ』を書き上げることにした。最初に持っていくから、つまんなかったら捨ててくれ」。
三拍子そろったのは偶然というか奇跡
翌年、ある程度構想がまとまってきたという。その話を、うちのプロデューサーが演出家の蜷川幸雄さんにしたら、ぜひ自分が演出をやりたいと。そこで蜷川さんを呼んで食事をして、「蜷川さん、台本が間に合わないということもあるかもしれない」と話した。間に合わずに初日が来た場合、演出家として、そして僕もプロデューサーとして、心構えを持っておかないといけないって。
全体の分量の5分の1ぐらいできたところで稽古に入ったんだけど、毎日、号外みたいにペラ2枚とか3枚が送られてくるだけ。そこで蜷川さん、出演者を連れて舞台となった鎌倉を散策するツアーを企画した。ついでに井上さん宅に寄って、やんわり催促もしたんだよね。
そうしたら、ひげぼうぼうでやせ衰えた井上さんが出てきた。命を削って書いていることがわかって、台本が遅れていることへのみんなの不満が一挙に消えた。こちらも間に合わなかったら、できあがった分で初日を開けよう。初日のお客様には、完成時の招待をどうしよう。そんな話をして腹をくくっていた。
結局、最終ページが届いたのは初日の三日前の夜。二日間で立ち稽古をやって初日を開けるというのは、本来なら考えられない話。でも、井上さんは上手(かみて)とか下手(しもて)とか、登場人物の出し入れまで計算して書いていた。戯曲を意識して書かれた台本に、優れた演出家、優れた役者たち。三拍子そろったのは偶然というか奇跡というか。これからの人生でもありえないと思うね。
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