今から31年前、20周年の頃かな。見回したら、紺の背広を着た金融機関の窓口に座っているような社員ばかりになっちゃった。
それまでは、鉄鋼会社であろうと銀行であろうと芸能プロであろうと、会社の価値基準は同じじゃないかとやってきたんだけど、振り子って振れすぎるんだよね。ちょうど音楽プロや芸能プロの事業では、年商60億円ぐらいが限界じゃないかと感じていたこともあって、会社の目指す道をあらためて考えたんです。
われわれの商売にとっていちばんの弱点は、機械化できないこと。工夫できないかと考案した一例が、タレントスカウトキャラバンでね。それまでは、人のうわさとか、すれ違いざまにとか、偶然に頼ってスカウトしていたのを、必然に変えられないかとやったわけ。とはいえ、ほとんどの仕事にマンパワーが必要で、永遠に機械化できない。
便利さと対極にあるストレートプレー(伝統的な演劇)
年商の限界を非限界にするにはどうしたらいいかを議論して行き着いたのが「人間産業」。芸能・音楽産業と言わないの。人間にかかわりのあることすべてを扱えば、理屈のうえでは非限界になるでしょう。絵描きや小説家といったアーティストへの展開もできる。そうしたら、当時のセゾングループの堤清二さんが、「堀さんが人間産業って言うと、何か人の売り買いみたいな感じがするね」だって。
テレビの世界でも、地上波のほかにBSやCSが誕生した。宣伝媒体としての地上波は、魚の漁で言うと投網でバサッと何もかも取る感じ。BSやCSは一本釣りに近くなり、身はこすり合っていないから、質のいい魚が取れる。視聴率が低くても、ピンポイントにフォーカスされていればいい。人間産業は、こうした流れにも合致している。
人間産業を追求しているうちに力を入れるようになったのが、ミュージカルや演劇といったライブパフォーマンスの分野。今は瞬時にして世界中の情報が行き渡って共有できる便利な世の中になったけど、ある意味、そうした便利さと対極にあるのが、ストレートプレー(伝統的な演劇)だと思う。出し物が同じでも、今日と明日とでは少し違う。そういった部分への価値が高まっている。
ホリプロは音楽系のプロダクションとしてはいち早く演劇を始めたけれど、演劇界の集まりでは異分子でね。でも一昨年だったかな、青年座のパーティで「堀さん、乾杯の音頭を取ってくれ」と頼まれたの。おお、演劇界にも認知してもらえるようになったんだと。ほくそ笑んだっていうのかな、こういうの。
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