親がわかっていない子どもが「心を閉ざす」言葉 よかれと思って言ったことが子を傷つける

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親の考える解決策が本当に最善なのかという疑問もあります。子どもをぶった相手がとんでもない乱暴者だった場合、面と向かって「どうしてぶったのか?」などと聞けるものでしょうか。もっとひどい目に遭う恐れもあります。子どもは親のアドバイスを実行できない自分を恥じ、「自分は弱虫だ」と感じ、ますます萎縮してしまうかもしれません。

「親には知恵がある」「親はつねに正しい」「最良の生き方を知っている」などと考えるのは危険な思い込みです。もちろん子どもが真実を語っていない場合もあります。「何もしていないのにぶたれた」というのは嘘で、実際には親が想像したとおり、その子が先に手を出していたのかもしれません。

子どもにもプライドや羞恥心がある

親が子どもの気持ちを知りたいと思って質問し、耳を傾けても、子どもがいつも本心を語るとはかぎりません。いじめを受けている子がなぜ親や教師に相談せず、ひとりで問題を抱えこみ、自分を追いつめてしまうのか、悲しいニュースを聞くたびに疑問を感じる人は多いでしょう。

しかし子どもにもプライドはあるし、羞恥心もあります。「親に弱みを見せたくない」、あるいは「心配をかけたくない」と考えることも多いのです。

親は子どもに向かってものを言いたい存在です。あれこれと子どもの生活に干渉し、子どものトラブルに介入してしまうのも、子どもの力になりたい、子どもを助けたい、子どもを正しい道に導きたいと思うからです。

ところが実際には、親の思いはなかなか子どもに伝わりません。それは、愛情の深さや子を思う気持ちの強弱ではなく、コミュニケーションの形に課題があるためです。

親子関係にかぎらず、コミュニケーションは言葉のやりとりで成り立つことがほとんどです。子どもが投げたボールを親が受け止める。親が投げ返した同じボールを、今度は子どもが受け止める。そんな言葉のキャッチボールです。

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