こうして現役の受験をあっけなく終えたK.Rさんでしたが、落ちる前からもう浪人すること自体は当然だと思っていたそうです。その理由としては、「大学に行くというのが当然の環境にいたため」と語ってくれました。
「志望校もなかったですし、浪人すれば何とかなるとすら思っていません。ただ、うちの学校は大学進学率が99%くらいでした。大学に行かないという人がほぼいない環境だったので、浪人以外の選択肢は自分の中になかったんです」
こうして、代々木ゼミナール横浜校に入って浪人をスタートしたK.Rさん。ところが、しばらくすると、予備校にまともに行くことすらしなくなったそうです。
「親から予備校代の現金70万円を預かって、手持ちで代ゼミに持っていったときは心が痛みました。
かといって、それに報いる勉強をしたかと言われると何もしていません。午後になると、好きな地理の先生の授業を受けるためだけに塾にぷらっと行ったり、町田校の地理の授業だけもぐりに行ったりしていました。
模試の成績は、地理以外は偏差値40~50くらいだったと思います。国公立理系コースを選択していたのですが、英語と数学・物理はひどかったですね。センター試験の結果も覚えていません。それくらいのレベルだったんです」
この年は結局、前期も後期も横浜国立大学を受けてどちらも落ち、2浪が確定します。
3浪目は同級生が家庭教師に
2浪に突入したK.Rさんは、お金をたくさん払ってもらったのにほとんど予備校に通わなかったことから、自宅浪人を決断します。しかし、この年は前年よりさらにだらけてしまいました。
「空いた時間、ずっと勉強する意欲も目的も何もなかったので本屋で立ち読みしていました。
実は高校時代にいちばん仲がよかったラグビー部の親友も2浪していたのですが、彼はラグビーをするために早稲田か明治に行きたくて2浪していたので、私も途中から早稲田や学習院の文系を目指して、ちょっとだけ勉強をし始めました。(早稲田や学習院の辺りの)都電の空気が好きだったという不純な動機でしたね。
それでも1日数分くらいしか勉強してないので成績は変わりませんでした。この年は早稲田4つと、学習院・明治・成城・日大などを合わせて10学部くらい受けたのですが、全落ちでした。この年はもう浪人じゃなくて、ただのプータローです」
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