「人間関係で苦労してきたので、自分のような思いをしている生徒がいれば、受け入れてあげたい、力になってあげたいと思いました。
そういう想いもあり、教員を目指していたのですが、大学3年生のときに行った中学校での教育実習で、人前でうまく話すことができませんでした。
勤務先の教員に囲まれて『お前は教員に向いてない、学部を変えたほうがいい』と言われ、自分が今まで学校集団の中で排除されてきた経験を思い出して、トラウマになってしまいました。
そのため、教員免許だけ取得して、教員になるのは諦めようと一度は思いました。でも4年生になってから一緒に授業を受けていた仲間と、指導してくださった先生が、私がいくら失敗しても、どんなときもやさしく受け入れてくれたので、自分が今まで経験した環境がすべてではないし、少し失敗しただけで説教されるような環境はおかしいと気づけました。それで教員採用試験を目前に控えた時期にもう一度、頑張って教員を目指そうと思えたのです」
「自分がかつてたくさん失敗しても、支えてもらって立ち直れたように、生徒が失敗しても挑戦し続けられるような環境を整えたい」と考えた浜岡さん。
ところが彼がこう意気込んで新卒で赴任した高校は、偏差値38のいわゆる「底辺高校」でした。
授業中に奇声を上げながら走り回る生徒
「最初の頃はとにかく大変でした。僕のクラスではありませんが、別のクラスの窓ガラスが割れたこともありましたし、授業中に『ウォ―――!』と奇声を上げながら走り回っている生徒がいる学年もあって、授業自体が成り立たないこともしばしばありました。
この当時は勤務先の近くの中学校も荒れており、地域全体の教育環境が整っていなかったこともあるのかもしれませんが、いちばん大きな要因は、担任を持った学年の生徒40人のうち、20人程度が母子家庭・父子家庭であり、苦しい環境で育ってきたことと関係があるかもしれません」
彼らのそうした行動の数々は、複雑な家庭環境で育ったことが原因であり、悪意がないものであったことも後々わかったそうです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら