「都市と山村」を行き来する「土着の思想」の実践 競争社会的生き方とは別の生き方を育む「苗代」
私は、もっと別の書物から、自分なりの「土着」の思想を理解しようとしていたように思う。それはたとえば、画家のセザンヌが、フランスの詩人であり、美術批評家でもあるジョワシャン・ガスケに語ったこんな言葉である。
言葉を信じない地縁共同体への反発
私にとって、「土着」の思想とは、言葉の対極にある思想であり、生き延びるための知恵でもある。そうした考え方に私が共感できたのは、私が大田区の場末の工場で生まれて育ったことと関係している。私は、工場の職工さんたちから「お前は親父の後を継ぐんだ。手に職をつけろ。大学なんて行くとバカになる」と言われながら育った。
それは言ってみれば、言葉のない世界であり、言葉を信じない世界であった。私は、自分が生まれ育った言葉のない地縁共同体に強い反発を覚え、そのしがらみの世界から逃れることに必死だったように思う。
ときおりその頃のことを思い出すことがあるが、今なら言葉のない世界の住人たちが、その価値判断や実行力において言葉の世界に生きるものたちに劣るところはないということがよくわかる。吉本隆明が同じことを書いており、私は深くその影響を受けてきた。
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