「勝ち組でいたい」に縛られる人が行き着く場所 その価値観は刷り込まれたものかもしれない…

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「勝ち組」「負け組」という分類は、幻想かもしれません(写真:タカス/PIXTA)
「人生、親ガチャで決まる?」「勝ち組に入るのがすべて?」「恋愛を避けて生きるのはアリ?」
そんな、現代人のわれわれが気になるテーマを、もし哲学者とディベートしたら、彼らはどう答えるのでしょうか?
富増章成さんが送る、まったく新しい角度の哲学入門書21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0:現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?より一部抜粋・再構成してお届けします。

「勝ち組を目指したい」気持ちの行く末は…?

昨今、SNSなどを中心にしばしば話題になる「勝ち組・負け組」論争。何をもって勝ち組とするのか、気になる人も増えているかと思います。

しかし、哲学の構造主義を知ると、この「勝ち組・負け組」という分類自体、幻想だと思えてくるかもしれません。

「勝ち組論争」について、もしも構造主義者に聞いてみたら、どう答えるのでしょうか?

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出所:『21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0:現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?』
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