菊池さんは沖縄で生まれ、6歳まで名古屋で過ごしました。
「父親は早稲田の社会科学部出身で、転勤がある仕事をしていました。僕が生まれたころには沖縄で、それからすぐに名古屋に引っ越して、6歳ごろまで生活していました。その後東京に引っ越して、都内でも何度か引っ越していますが、今に至るまでずっと東京で暮らしています」
幼少期の菊池さんは、ふつうの「子どもらしい、子どもだった」そうです。勉強面も平均点より少し上くらいで、特段得意というわけではありませんでした。そんな当時の彼は、アニメやゲームが好きだったこともあり、漫画家になる夢を抱いていました。
「『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』が好きでした。習い事もしてなかったので、当時は家に帰ったらずっとゲームをしたり、アニメを観たり、漫画や絵を描いたりしていました。TOKYO MXのアニメの再放送や、テレビ東京の18時台のアニメを全部観ていましたね」
「自分でも、『星のカービィ』を主人公にしたファンタジーものの漫画を描いていた」と語る菊池さん。このころからインプット・アウトプットを自然にやっていたことからも、すでに創作者としての片鱗が見られます。
年に40~50回、遅刻や欠席繰り返すように
アニメや漫画に触れる幼少期を過ごし、八王子市内の公立中学校に進学した菊池さん。しかし中学2年生になったころから、次第に遅刻・欠席を繰り返すようになります。
それには、親の離婚も少し影響しているようでした。
「学校の成績は変わりませんでしたし、人間関係で問題があったわけではありません。これというきっかけはないのですが、親が小学校高学年くらいで別居し始め、のちに離婚したんです。
中学に進学するタイミングで、練馬から八王子に引っ越したのですが、父親と当時高校生だった兄が朝7時くらいには通勤・通学するので、日中は家に誰もいなくなる環境になりました。
それで学校に行かなくても、誰にもバレない状態になったんです。父親も通知表を見て、僕の遅刻や欠席の回数をわかっていたと思うのですが、無理に学校に行かせようという感じではありませんでした」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら