鉄道員にオヤジと呼ばれたSL「キューロク」の記憶 大正生まれ9600形、国鉄最後の現役蒸気機関車
筆者はこの峠越えの姿に魅せられ、1970年から毎年米坂線を訪れていた。
印象に残るのは朝の米沢行きの通勤列車で、客車8~10両にもなるため、両数によっては重連で牽引にあたっていた。「山の強者」キューロクの重連が客車を牽引して宇津峠を越える姿は伝説として今も語り継がれている。峠越えの魅力ある米坂線も2022年の豪雨災害で今泉―坂町間が不通になったままなのは残念でしかたない。
帰らざる海外のキューロクたち
キューロクは戦前、海外にも多くが渡ったほか、同型の機関車も各地で導入された。1930年代後半にかけて、中国大陸へは1435mm(標準軌)に改軌された数多くの機関車が渡り、二度と日本に戻ることはなかった。筆者は1980年代に、雲南省昆明のメーターゲージ(軌間1m)狭軌鉄道「昆河線」のある機関区で廃車体となった数台を目撃しカメラに収めている。
日本統治時代の台湾総督府鉄道は同型の機関車800形を新造して導入した。面白いのは、ほぼ同じ形ながらアメリカで製造した機関車(600形)が存在したことである。戦後は台湾鉄路DT580形として、台湾縦貫線の電化まで区間貨物列車や嘉義、新竹駅などの構内入換用に使用されていた。
樺太(サハリン)の鉄道も同型機を新造導入したほか、戦争末期に国内(国鉄)からも6両が転出している。しかし、ソ連の侵攻により略奪されてしまった。
貨物輸送で日本の近代化を支え、大正生まれながらSL時代の最後まで活躍を続けたキューロクは、地味ながら日本の鉄道の歴史に大きな足跡を印した、まさに頼れる「とっつあん」であり「親父」だった。
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