「95年目の新勢力」が作る1900馬力のハイパーカー ピニンファリーナ「バッティスタ」が日本上陸

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

バッティスタ・ファリーナ(1883~1966年)は、当初より、車体にとどまらず「クルマを作りたい」という希望を持っていたという。次に会社を引き継いだセルジオ・ピニンファリーナ(1926~2012年)の時代にも実現せず、セルジオの次男パオロ(1958年生まれ)がグループの会長になってようやく結実する。

2015年に、インドのコングロマリット、マヒンドラが経営に参画し、アウトモービリ・ピニンファリーナが設立されたのだ。

従来のデザイン会社としてピニンファリーナも、B to Bのビジネスを継続。その中には、これまでどおり、技術や新素材などの提案も含まれる。ピニンファリーナの名は、今後もこの2つの会社が使うことになるという。

今回、試乗したバティスタ55(写真:Automobili Pininfarina)
今回、試乗したバッティスタ55(写真:Automobili Pininfarina)

バッティスタが2019年のジュネーブ自動車ショーで大きな話題を呼んだのを、私はよく覚えている。ピニンファリーナが自ら自動車を作ったことは、驚きを持って受け入れられたのだ。

COVIDによる遅延を経て

ボディデザインは、やたらとエモーショナルな方向へは流れず、空力にもすぐれていそうな、レースカーを彷彿させるものだった。

「電気自動車の技術が熟成していたことが、バッティスタのプロジェクトへの追い風になりました」

アウトモービリ・ピニンファリーナのパオロ・デラッチャCEOは、そのときの背景について語る。しかし、そのあとすぐに、COVIDが世界を襲い、生産計画は遅延。

「それが一概に悪かったかというと、デザインを含めてモデルを熟成できましたから、予算は当初より出費がかさみましたが、いい面もあったと思います」

後述するB95の運転席から笑顔を向けるデラッチャCEO(写真:Automobili Pininfarina)
後述するB95の運転席から笑顔を向けるデラッチャCEO(写真:Automobili Pininfarina)

チーフデザインオフィサーのダビデ・ロリス・アマンテア氏は、東京・三田の在日イタリア大使館での発表会の際、そう言っていた。

全長4912mm×全幅2240mm(ミラー含む)×全高1214mmのボディには、マクラーレンを思わせる前ヒンジで跳ね上がるシザー(ハサミ)ドアを備える。低くて深いフロントエアダムや巨大な電動リアスポイラーなどは、サーキットを視野に入れたボディ設計を思わせる。

シザードアや可変式の大型リアスポイラーなどすべては機能性のため(写真:Automobili Pininfarina)
シザードアや可変式の大型リアスポイラーなどすべては機能性のため(写真:Automobili Pininfarina)

パオロ・ピニンファリーナはしかし、バッティスタが路上を走り出したのを見届けたあと、2024年4月に急逝。これから、というときに残念なことである。

なお、彼の子どもたちは、まだ学校に通っている年齢。つまり、ピニンファリーナ一族の後継者は、現在のところ事業に参画していない。

次ページ0-100km/h加速は脅威の1.86秒!
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事