息子が語った「父・山崎元」からの"最も有用な助言" 教育方針、子どもへの思い…知られざる素顔

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特に、父が僕を自分の「上位互換」のように思ってくれていたのは恥ずかしいけど、うれしかったですね。父が亡くなった後の「お別れの会」でも、生前の父と親しかった方から「お父さんは『うちの息子はオレより頭がいいんだけどさ』とよく言ってたよ」と聞いて。とんでもないことを言うな、と。

幸い、息子は順調に育った。背は父よりも高いし、父がかつて入りたかった東大の理類に入った。将棋もまあまあ強い。性格は父よりもはるかにいい。こうした、自分の言わば「上位互換」の子孫がいることで、不思議な「生物学的安心感」とでも言うべき感情が生じている。今回、私は癌に罹って、なかなか厳しい状況に立っているのだけれども、気分が暗くならないのはそのおかげだと思う。

(出所:『経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて』)

――手紙の中では「自分の息子に対してぜひやってみたかったのは、余計なプレッシャーを与えずに育ててみることだった」とも語っていますね。

いや、実際にはかなりのプレッシャーを感じていました。特に大学受験のときは、「別に東大を目指さなくてもいいんだぞ。お前の好きなところに行けば」とは言うんです。でも、その後に続けて「まぁ、東大に行くといいことがいっぱいあるけどな」と。そういう粘着質なプレッシャーのかけ方をしていましたね。

テレビゲーム、ソーシャルゲームは禁止

――お父さんは、Kさんに対してどんな教育方針をとっていたのですか。

小さいころは、周りの友だちの家庭と比較しても厳しかったと思います。テレビゲームやソーシャルゲームは禁止。その代わり、ボードゲームや将棋、囲碁を教わりながら一緒にやることが多かったですね。報酬系を刺激するようなゲームを与えるよりは、じっくり考えることの大切さを教えたい、という親の意思を子どもながらに感じていました。

勉強に関しては、中学受験のときまでは口うるさかったのですが、中2、中3になるとだんだん干渉してくることはなくなりましたね。プログラミングの教室に通わせてもらうなど、好きなことをさせてもらいました。

――子どものころの、思い出に残っているエピソードはありますか。

小学校に入学する直前だったと思いますが、父にデジタルカメラを渡されて、飯田橋駅のホームから総武線の電車を撮影した記憶があります。僕が撮っている後ろでその様子を父が撮って。鉄道が好きならいずれ写真も撮りたくなるだろうとカメラをプレゼントされました。鉄道模型を買ってもらったりもしましたね。

鉄道好きの息子の写真を撮影する山崎元さん。写真は伊豆急下田駅での様子(家族提供)
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