「社会をよくする投資」を知らなすぎた日本の代償 僕らが「マネーゲームのプロ」辞めて本を書く訳
鎌田:お客さんが魚を買ったら「あの家の今日の夕飯は焼き魚だな」とか、アイスクリームを買ったら「子どもが喜ぶだろうな」とか、お金が動いた先には人の動きが見えていたんですね。
田内:東京だとお店がいっぱいあるから客は店を選びますけど、地方だと本当に「うちの店があるから生活が成り立っている」というケースが多いですよね。
鎌田:そういう中で育ったので、自然と「社会の縮図」が身についていたんでしょうね。
金融の世界で感じた「強烈な違和感」
──そうした一般の社会と、金融の世界が乖離していることも、お二人が本を書く動機になったのではないかと思います。そもそも、大学を卒業して金融業界に入ってから、お二人はどのくらいの時点で違和感を覚えるようになったのですか。
鎌田:私は信託銀行に入りましたが、入社してすぐに違和感を抱きました。
入社の理由は、とくに高い志があったわけではなく、当時は就職先として金融機関の人気が高かったから。先輩から「信託銀行は都市銀行(現在のメガバンク)や証券会社に比べて仕事が楽な割には給料が高いぞ」と聞いていたので……。要は、不純な動機だったわけです。
入社したのは1988年、バブルの絶頂期です。株の値段も不動産も、何もしなくてもどんどん上がる時代でした。
だから会社としては元気があったのですが、社内で話題になるのは「不動産融資で何億円儲かった」とか「業界の中で一番を取るぞ」と数字の話ばかり。経営陣さえ「いかに社会をよくするか」という話は一切しない。
そんな状況に、「それって社会の役に立ってるの?」「俺は何をやってるんだろう」と、すぐに違和感を覚えました。
田内:僕は、外資系金融機関で金利のデリバティブトレーダーの仕事に就きました。得意な数学を生かせる仕事だと聞いたので、自分の能力を生かして戦いたいと思ったからです。
入った時点では金利も投資もよくわからなかったけど、自分の仕事が誰かの役に立って未来をつくるんだろうな、と漠然と思っていました。
でも仕事がわかってくるにつれ、「どうもそうじゃないな」と気づき始めた。
とくに海外のヘッジファンドへの取引は、相手のミスプライスを探すような側面が大きく、まさにマネーゲームです。
安く買って高く売れば自社にお金が落ちるけれど、安く売らされたらお金は向こうの会社に行く。これを社会全体で考えると、どっちに落ちようが同じですよね。「ほとんど意味のないことに時間を使ってるんじゃないか?」というモヤモヤを感じていたんです。