バンドマンから48歳で弁護士転身のロックな半生 41歳の誕生日、もうひとつの人生を問いかけた

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「最終試験が終わった直後から八ッ場ダム住民訴訟の弁護団会議に参加し、弁護士になると同時に書面も書かせてもらった。その後すぐ東日本大震災、福島原発事故が起きて原発・エネルギー問題にも取り組むことになったけど、その前から『シロクマ弁護団』にも参加していた。

国内の大手電力会社に対して、『CO2の排出を減らせ』と公害調停を申請するために、気候変動で一番影響を受ける人たちに参加してもらおうと、みんなでツバルまで行ったよ」。

(撮影:赤澤昂宥)

「原発事故の責任はすべて電力会社が負うことになっていて、原発メーカーは一切責任を負わず、PL法も適用しない、と原子力損害賠償法で二重三重に保護されている。

これはおかしい、と世界中から約4200人の原告を集めて世界初の原発メーカー訴訟を起こした。政策や法律に影響を与えるために、弁護士主体で、あえてこういう裁判をやることは特に珍しいことじゃない」。

パンクロックと弁護士に共通するものは「自由」

法律や社会通念が間違えていると思えば、弁護士だからできることを探す。一般的にお堅いイメージもある弁護士という職だが、意外にも「自由でクリエイティブ」なのだという。

「弁護士に必要なのはクリエイティブな発想力。新しい発想で新しい人権や法律論を打ち立てる。これが弁護士の面白いところなんだ。弁護士は国にも監督されない、監督官庁がない唯一の士業。

俺は法廷だって革ジャンで行くこともある。自分の責任で考えて行動できるという点では、バンド活動と共通しているね」。

「島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS」、並行して「the JUMPS」と、音楽活動も本格再開。2024年も新譜リリースとツアーを予定している(撮影:赤澤昂宥)

原発メーカー訴訟で提示した新しい人権「ノー・ニュークス権」を周知するために立ち上げたバンド「NO NUKES RIGHTS」とジャンプスとで音楽活動も本格再開している。そんな島さんは、“憲法LOVE”だと強く語る。

「憲法13条の『すべての国民は、個人として尊重される』というフレーズはロックそのもの。岡林信康の『私たちの望むものは』の歌詞の通り、いい社会にするために個人が犠牲になるんじゃない、一人ひとりが幸せになることで、いい社会を実現すべき。こっちの方が大事なんだ」。

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