バンドマンから48歳で弁護士転身のロックな半生 41歳の誕生日、もうひとつの人生を問いかけた
大学を5年で卒業し、その後もバイトや塾経営、飲食店経営をしつつ、音楽活動メインの日々を続けた。
甲本ヒロトらと国会前で決死の“ヘアヌード”撮影!
戦後50年の節目である1995年には、イベント「ASIAN CALLING」を全国でツアー開催。このときは島さんをはじめ、甲本ヒロトやマグミ、ドリアン助川などの5名がボーカルのユニットとしてシングルCD「夜汽車」をリリースした。そのジャケットは、国会前で決死の“ヘアヌード”を撮影したものだった。
「当時は宮沢りえの写真集『サンタフェ』でヘアヌードが解禁になってた。でも、CDジャケットでは誰もやってなかったから、『俺たちが最初にやろうぜ』って撮影をしたんだよ。
結局、発売直前にレコード会社からクレームが入って股間に星マークが入っちゃったけど。当時は俺もヒロトもライブでは全裸が普通だったね。(レピッシュの)マグミなんてNHKホールでも脱いでたぐらいだから(笑)」。
大胆不敵な行動も目立つが、島さんの音楽活動の目的は“社会変革”。ジャンプスでアパルトヘイトや政府批判など、社会的メッセージを掲げた曲をリリースするだけでなく、社会活動にも取り組んでいた。
「早稲田の活動家たちとも付き合いがあって、新宿中央公園で炊き出しやライブをやってホームレスを支援する夏祭りをやったり、外国人の指紋押捺拒否の支援ライブに出演したりね。パンクをやっているからには当たり前のことだと思うし、『環境問題』は中学の頃から自分のライフワークだったからね」。
島さんのいう「環境問題」とは、狭い意味での環境保護ではない。“価値観の転換”を図ることで、物質的・経済的ステータスを追い求める社会から、多様な価値観を受け入れる時代に移行し、持続可能な社会を実現することを意味する。