Z世代を不安にさせるビジネスがなぜ流行るのか 不安に動かされる「われわれ」の社会の病理
もし、このような理解が正しいとすれば、われわれが生きているこの社会は、根拠がない(かもしれない)不安に駆られた経営者や労働者たちが、やはり根拠がない(かもしれない)不安に駆られる若者たちをビジネスの種にしている社会ということになる。このような理解は、この本の「Z世代化する社会」というタイトルや、本文における「Z世代はわれわれの――Z世代以外を含む――社会の構造を写し取った存在であり、写像」であるという指摘と奇妙に響き合う。
すなわち、この本が描き出しているのは、不安に動かされる「われわれ」の社会の病理なのである。
このような社会に対して、われわれはどのように対応すればよいのだろうか。言い換えれば、われわれはどのように社会を変えていけばよいのだろうか。舟津さんはいくつかの処方箋を提示している。例えば「余裕を持つこと」「満点人間を目指さないこと」であるが、要するに不安を打ち消すためには、余裕を持って欠点を受け入れる、ということになる。この処方箋の中でとりわけ興味深いのは「理由を探さないこと」である。
つまり、不安に根拠がないのと同様に、信頼にも根拠がない。根拠がなくても自己を信頼し、あるいは他人を信頼すれば、不安を打ち消すことができる。根拠がなくても信頼すればよいのである。
企業とは本来、将来の不安を消すことができる存在
これはオトナたちにも言える。根拠がなくても自信を持って経営し、あるいは自信を持って働き、未来に向けて「俺たちはこれをやるんだ、俺たちならできるんだ」と言っていればよいのである。
企業というのは、そのような意味で未来を示し、将来の不安を消すことができる存在である、というのが評者の意見(この点に関心があれば拙著『感染症と経営――戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか(中央経済社、2021)』をお読みいただきたい)だが、これは企業でなくても、自分でも友達でも家族でも地域社会でもよいのかもしれない。
いずれにせよ、誰かを信じることで、不安に動かされるわれわれの社会から抜け出すことができるというのは、希望に満ちたメッセージだと思う。
ということで、軽い文体とは裏腹に、社会に対する重い問題提起と、一方での希望に満ちたメッセージのある本なのである。単なる若者論として読んでいただいてもよいとは思うが、ぜひ「われわれ」の本として読んでみていただきたい。
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