藤井聡太に挑戦「豊島九段」が人との練習やめた訳 "孤高の努力家"が「棋聖」獲得までに行ったこと

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20代前半は、負けてもまた挑戦できると思っていた。だが棋士のピークは25歳くらいに訪れるとも言われる。早く結果を出さなければという気持ちが強くなった。チャンスは何度もあった。24歳で王座、25歳で棋聖、27歳で王将に挑戦。しかし、いずれも敗れた。

「自分はこのままタイトルを獲れないんじゃないか」

そんな不安が心をよぎった。

棋聖戦の2カ月前、王座戦二次予選で都成竜馬五段(当時)との対戦があった。その様子を棋士室のモニターで観ていた畠山は「今日の豊島さんは落ち着いていて、よい姿勢ですね」と言った。張り詰めた空気がない。なにかフワッとした丸いものに包まれた感じがした。この対局に豊島は敗れたが、感想戦で互いの読み筋を交わし合う姿は楽しそうだった。

豊島に変化を感じたのは畠山だけではない。棋聖戦が開幕する一月前、豊島は地元愛知県の岡崎将棋まつりに参加した。毎年多くの棋士が出演して、2日間にわたってファンを楽しませる。

前夜祭の後、若手棋士たちが集まって飲み交わすのが恒例になっていた。室谷由紀(女流三段)は「豊島さんは来てくれないだろうな」と思っていた。彼がこうした席に顔を出すことは何年もなかった。だがこの日は集まりの場に来て酒を口にしないが楽しそうに過ごした。室谷の中でそれは驚きだった。

豊島にその頃の気持ちを聞いた。

「余裕というか……(タイトルに縛られるのは)もういいかなと思っていたかもしれません(笑)。やれることをやって、どうなるか。それでダメならしょうがないという気持ちでした」

これまででいちばんつらかった時期

棋聖戦第5局は、東京都千代田区にある都市センターホテルで行われた。午後になると羽生の偉業達成を期待する取材陣が集まり始めた。多くは普段、将棋の取材にかかわらない一般マスコミである。

夕刻、羽生が頭を下げた姿がモニターに映る。投了の瞬間、豊島の胸に去来したのはうれしさよりも「長かった。ホッとした」という気持ちだった。28歳になっていた。

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将棋連盟の広報が取材陣を順に対局室に誘導する。100期達成ならば先を競ったであろう記者やカメラマンも、穏やかに指示に従う。

筆者は最後のほうに入室した。ストロボが光る中、下座に座る姿が目に入った。その背中が、大きく感じられた。

こんなにも逞しかったか……。

豊島を間近で見たのは、電王戦以来4年ぶりだった。どれだけの葛藤を乗り越えてきたのだろう。儚げだった青年の面影はなかった。

記者会見が始まる。豊島は運営の指示に従って動いた。記者が自分を「棋聖」と呼ぶ声が聞こえた。いくつかの質問に答えた後に「これまででいちばんつらかった時期は?」と聞かれる。

「25歳からいままで」

ためらわずに言った。豊島が笑顔を見せると、口元に八重歯が覗いた。

野澤 亘伸 カメラマン/『師弟~棋士たち魂の伝承』著者

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のざわ ひろのぶ / Hironobu Nozawa

1968年栃木県生まれ。上智大学法学部法律学校卒業。1993年より写真週刊誌『FLASH』の専属カメラマンとして活動を開始。主に事件報道、スポーツ、芸能などを取材、撮影。同誌の年間スクープ賞を3度受賞。フリーとしてタレント写真集や雑誌表紙を多数撮影。小学生の頃からの将棋ファンで、著書『師弟 棋士たち魂の伝承』(2018年、光文社)と『少年時代に交わした二つの約束』(2019年、将棋世界)で第31回将棋ペンクラブ大賞を受賞した。ほかに海外取材をまとめた『この世界を知るための大事な質問』(2020年、宝島社)などがある。

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