船内文化に対して、倫理的、宗教的、政治的、あるいは哲学的な理由から反発し、船や乗組員たちの健康や安全にとって有害な行動をする人も出てくるだろう。
誰かが不満を抱くようになったとしても、地球にいたときとは違い、その人はほかに行くところがないのだということは、忘れてはならない。そして、ワールドシップがいかに頑丈に設計されていたとしても、破壊行為をやると決意した人間の前で無傷でいられるわけがない。悪意を持った1人の人間が、宇宙船全体を破壊することもあり得る。
飛行機での旅行について考えてみよう。始まった当初は、チケットを購入すれば、それで飛行機に乗れた。空港では家族や友人たちが、駐機中の飛行機に向かうあなたに寄り添ってタラップの下までついて来て、見送ってくれたものだ。ところが、1960年代から70年代にかけてハイジャック事件が相次ぎ、空港の保安体制が厳しくなり、金属探知機が導入され、銃などの比較的見つけやすい武器の検査が始まった。
しばらくはそれでうまく行っていたが、2001年9月11日、破壊行為を行うと決意した集団が同時多発テロ事件を起こした。今では、航空機に乗るには、何種類もの身元確認を受け、全身を電波でスキャンした上でさらに金属探知機で検査され、場合によっては全身のボディチェックをされてようやく搭乗が許される。
粗暴な振る舞いをする乗客や、飛行中に危険の兆候が検知されたために旅客機が臨時着陸したというニュースは毎週のように起こっている。
人間の生涯よりも長い旅行期間
私たちは、それほど遠くない目的地に行くだけでも、数時間にわたるかなりの不自由を受け入れ、個人の自由をあきらめて、同乗者たちの安全を確保する覚悟ができている。
しかし、このような犠牲を生涯にわたって続けようという覚悟が、私たちにあるだろうか? そんな状況は、新しい家に向かう宇宙旅行というより、警察国家での暮らしのような感じがする。
旅のあいだに生まれる子どもたちについてはどうするのだろう? 旅行期間が人間の生涯よりもはるかに長いなら、一生を船内で過ごす世代が何世代も続くことになるだろう。
新しい世界の入植者にはなりたくないと思う人たちが出てくる可能性は否定できない。とりわけ、その人たちが、地球の広々とした海、青空、そして緑の大地のことを知ってしまったならば。彼らに両親や祖父母の夢を叶えろと強制するのは倫理にかなっているだろうか?
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