”復活”日本−−日中韓・造船三国志【中】

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第3。原則、大投資はしないが、するとなれば、極限の効率を追求する。たとえば、昨年、株価2500円の高値をつけた名村造船所である。

01年、銀行管理下の函館どつくと提携したとき、名村建彦社長の頭には「投資は悪いときにやれ」という先代の言葉があった。「企業風土も荒れていた。銀行は、貸付金の回収が最優先。が、稼いでも根こそぎ返済に持っていかれるのでは、稼ぐインセンティブがなくなる。この悪循環を断ち切ろう」(名村社長)。

03年、再度の債権カットを銀行に要請し、従業員の退職金も4割カット。極力、負担を軽くしたうえで昨年、15億円追加出資し、函館どつくを子会社化した。同時に函館どつくの借入金34億円を銀行から買い取ったが、厳しい時価査定が前提だったことは言うまでもない。名村はつごう50億円弱で年間7隻の建造能力を手に入れたことになる。

日本の造船業は、生産も投資も効率第一が骨肉化しているのである。

生産性は日本の10分の1 「何するかわからない」中国

海運界の名門、日本郵船が初めて中国に新船を発注したのは、03年末だった。侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があった。いったい、エンジンやプロペラは動くのか。新船をいきなりスクラップにすることになるんじゃないか。「最後は、オレが責任を取るからやれ、と」(二見昭夫企画グループ長)。

決断しても不安があった。中国船の事故の履歴を調べると、荷物を積んだらハッチが閉まらなくなるなど、考えられない事例が出てくる。郵船は、当該造船所の弱点を知り抜いた中国人のベテラン監督をスカウトし、計7~8人の監督を送り込んだ。「四六時中、現場に張り付けた。溶接するたびに、すぐ見に行く。何をするかわからないから」。

発注したケープサイズ2隻は昨年、無事に引き渡しを受けたが、中国でピカ一の造船所が相手でも、これだけの苦労がある。「中国の受注のうち、まともに船が出てくるのは3割くらい」(日本の造船所幹部)という見方が出てくるゆえんである。

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