なぜ大学教育がベーシックサービスなのか。
以下に僕の考えを示しますが、これは答えなのではなく、ひとつの考え方だ、ということを忘れないでください。つまり、さまざまな考え方がぶつかりあい、議論すること自体にベーシックサービスの本質がある、ということです。
社会的に必要な大学教育の無償化
大学教育の無償化に関しては、大学をタダにしても勉強する気のない子どもたちをいたずらに進学させるだけではないか、大学がタダになっても、結局、お金持ちの子どもだけがいい学校に行くのではないか、という批判が出てきそうです。
ですが、これらの批判は的を射ていません。大学に行く/行かないは、各人の選択でかまいませんが、大学教育それ自体は、万人にひらかれるべき権利です。
なぜなら、大学教育は、人間の「精神の自律」の前提をなしているからです。
私たちには投票権があります。
ですが、投票の権利を与えられても、人々は自分で考え、判断し、選択できなければなりません。それができて初めて、私たちは社会の言いなりになるのではなく、自律して生きていくことができるはずです。
家庭の所得水準が進学できる大学のレベルを決めるという批判は、以上の視点を欠いています。
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