「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける

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いまの日本では、世帯収入300万円で生きるのは大変です。この年収で何人かの子どもを産み、育て、大学に行かせようと考えるのは、かなりハードルが高いでしょう。

でも、大学の学費がいらなくなり、老後も病院や介護の心配がない社会になったとしたらどうでしょう。

私の収入が150万円、パートナーの収入が150万円、それだけあれば、ぜいたくはできなくても安心して生きていけます。生まれ育った故郷で生きる自由を手にできます。少子化や東京一極集中などの問題もグッとやわらぐでしょう。

入学先別の高校入学から大学卒業までにかける費用
入学先別の高校入学から大学卒業までにかける費用/子ども1人あたりの費用:年間平均額の累計(出所:日本政策金融公庫「令和3年度『教育費負担の実態調査結果』」)

みなさんは自分の子どもを大富豪にしたくて勉強をさせていますか? そうではなくて、人並みか、できればちょっといい暮らしを楽しんでほしい、そんなささやかな願いから子どもたちを受験戦争にうながしているのではありませんか?

もしそうなら、子どもたちに《生きかたの選択肢》を与えるべきです。

もちろん、偏差値の高い学校をめざし、大都会に出て、先端的な学びの機会にふれることはすばらしいことです。それを妨げる理由などどこにもありません。

ですが、精神の自律を手にするという本来の目的に立ちかえり、多くの人たちが受験に必死になるよりも、青春時代を楽しみ、地域にある大学に行き、生まれ育った街で愛する人と出会い、働き、生きていくという選択肢もあってよいのではないでしょうか。

この選択の自由のための経済的な土台こそが、ベーシックサービスなのです。

ライフセキュリティの社会へ

ベーシックサービスと品位ある最低保障を両輪とした社会を、僕は《ライフセキュリティの社会》と呼びます。

命と生活、すなわち「ふたつの生(=life)」を保障しあう社会という意味です。

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