大学教育にとって大事なのは、「考える」「判断する」「選択する」ための知識や専門性を提供する場であるかどうかであって、偏差値が高いかどうか、ではありません。
大学教育は、政治への参加意欲、政治や権力に対する態度に影響を与えます。
OECDのデータによると、「政治に関心があると答えた成人の割合」は、高卒以下が42%、高卒が51%、大卒が65%となっています。
また、「政府のやることに発言したいことがあると感じる成人の割合」も、高卒以下が27%、高卒が33%、大卒が46%と、高学歴化によって賛成する人の割合が増えています。
権力からの精神的自律をなしとげる、すなわち、事実を見つけだし、権力と批判的に向きあうためにも、大学教育はベーシックサービスのひとつだと考えるべきです。
大学はそれぞれの理念にしたがって、精神的な自律を可能とする教育サービスを提供せねばなりません。国であれ、政府から独立した機関であれ、その目的を達成できるよう、教育の質をコントロールすべきです。それができていない大学は設置を取り消すことだってありえるべきです。
ですから、精神的自律をたもつ、という本来の目的が達せられているのならば、そのなかの偏差値の差は、本質的な差とは言えないのです。
なぜそんなに偏差値が大事なの?
偏差値なんて大した問題じゃない──僕はそう言いきりましたが、以上の理屈はイマイチみなさんに響かない気がします。「そんなのただのキレイごとでしょ」というつぶやきが聞こえてくるようです。
じゃあ、視点を変えてみましょう。そもそも、なぜ、偏差値の高さがそこまでみなさんの関心をひくのでしょうか。答えは単純です。それは、いい大学にいき、いい会社に入らなければ、おだやかな暮らしを手に入れられないからです。
多くの子どもたちが東京を中心とした大都市に移り住む理由は、都会への憧れもあるでしょうが、偏差値の高い大学が都市に集中していることが大きいですよね。
ベーシックサービスがめざすのは、こうした社会の価値観を変えることです。
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