日本の半導体の凋落招いた「日米協定」の無理難題 1986年の締結前は"日の丸半導体"が世界を席巻
この協定により、日本の半導体メーカーの現場でどんなことが起きていたかは、おそらくその場に身を置いていた関係者以外、知ることはないでしょう。
そこで、筆者自身、辛酸をなめるに至った舞台裏を記しておくことにしましょう。
無理難題を押し付けられた、まさに「不平等条約」
まず日米両政府が日本の半導体メーカーに対し、半導体製品の「コストデータの提出」を求めるようになりました。
いわゆるFMV(Fair Market Value:公正市場価格)を算出するためという名目で、当時、担当者だった筆者たちはどのような対応を余儀なくさせられたか。
一日の終業時に「ラインで流れた個々の製品にどれくらいのリソースを掛けたかの報告義務」を課せられるようになりました。多くの半導体工場では、異なる製品が同じラインで製造されています。
このため、製品ごとにそれぞれのプロセスで使用される装置や材料、あるいは作業に掛けた人件費の割合(賦課率)などを算出するというのはたいへんな労力です。
そもそもDRAMで日本メーカーが圧倒的シェアを占めているのは「ダンピングによる安売りをしているためでは?」との疑いから、「日本の半導体の価格はアメリカ政府が決める!」という、とんでもない取り決めだったといえるでしょう。
さらに現場サイドにボディーブローとして効いたのは、「日本市場における外国製半導体のシェアを20%以上にする」という条項です。それまで外国製製品が10%だったのを倍増しなければならないという「購買義務」だったのです。
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