難しい哲学が一転しておもしろく感じるプロセス 哲学YouTuberがひもとく、哲学の秘話
ヘーゲルの哲学史によって、哲学者たちを歴史的に位置付けることはできました。しかしそれと同時に、ヘーゲルは哲学の歴史を「発展」と理解したために、過去の哲学をすでに乗り越えられたものと見なしてしまいました。いわゆる「進歩史観」です。
そういう問題点はあるものの、ヘーゲル以後に哲学史というジャンルが爆発的に盛り上がり、多くの哲学史が出版されるようになりました。
そして現代にいたるまで、哲学史はまったく廃れていません。むしろ哲学という学問の主要な側面としての地位を得ています。哲学史を学ぶことは、決して単なる過去の学説の調査や整理にとどまるものではありません。哲学者たちの新たな側面を切り出す創意工夫にあふれた活動なのです。
哲学はなぜ互いに批判ばかりしているのか?
分析哲学は主に20世紀の英米で主流の哲学でした。対して、現象学やいわゆるフランス現代思想は、独仏で主流の哲学でした。これらは大げさに言えば相性のよくないもので、軽蔑し合うこともあります。
カルナップ(分析哲学)が、ハイデガー(現象学)をこき下ろしたことなどが有名です。ハイデガーもそれに対して「カルナップのようなものこそ、哲学の皮相化の極みだ」などとコメントしたようです。
つまり、分析哲学から見れば、独仏の哲学は、いたずらに難解で、深遠そうに見せかけただけの無意味な言葉の羅列のように感じるのでしょう。
他方で、独仏の哲学から見れば、分析哲学は明晰・明快をスローガンにしながら、哲学を俗悪で陳腐なものにしていると感じるのでしょう。
これは哲学が持つ多様な側面の表れです。まるで正反対なことを言っているようなことも多々あります。なので、ひとまず理解の見通しを与えるために、哲学は対立軸をベースに語られることも多く、「自然哲学と形而上学」「あるとない」「精神と物体」「可能と現実」「能動と受動」など、いろんな対比があります。しかし、そういう対比さえも崩そうと思えば簡単に崩せますし、安易な対比を超えた、言葉にできないものを語るのが哲学です。
言葉にできないものを語ろうとするから、どんな語り方もできます。歴史に残る偉大な哲学者たちとは、これまでに聞いたことがないような語り方をした人物ともいえます。
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