ユニセフ親善大使の話から始まったかと思うと、タモリのリクエストでハンドバッグの中身をひとつひとつ見せることに。手紙や筆記用具などの他に、電車の切符、さらになぜか箸置きが入っていたりする。
そして『徹子の部屋』(テレビ朝日系、1976年放送開始)の印象的だったゲストのエピソードから、自分の「検便」を「フン」と言ってしまった話、富士山の近くの宿で「これ、なんていう山ですか?」と聞いてしまった話、わんこそばに挑戦したがすぐ次のそばを入れられるのでやめるにやめられず悪戦苦闘した話などが延々ととめどなく続き、最後は、翌日ゲストの泉ピン子へのメッセージを書き留めるふりをしてタモリがメモ用紙に描いている女性器のマークを目ざとく見つけた黒柳が、昔覚えたというその絵描き歌を歌い出すおまけまでついた。
この間、約46分。
通常、「テレフォンショッキング」の長さは20分程度である。当然、予定していたほかのコーナーはできず仕舞いに。後年似たケースは作家の有吉佐和子やとんねるずでもあったが、その先駆けがこのときの黒柳徹子だった。
また、ゲストが大幅に遅刻してしまったこともある。
1997年10月2日放送回のゲストは、俳優の片桐はいり。しかし片桐は、時間になっても現れない。電話をすると、まだ品川駅にいた。寝坊したとのことで、しかも電話中にむざむざ1本乗り過ごす羽目に。
ようやく新宿アルタに到着するが、放送している階に向かうエレベーターの場所がわからず右往左往。しかも、前日ゲストの渡辺えり子(現・渡辺えり)が残したメッセージが、「明日は遅刻しないでくださいね」だったという見事なオチもついた。
電話のかけ間違いで一般人が出演
そして、電話のかけ間違いで、なんと一般人が出演したこともあった。ある意味、黒柳徹子の〝番組ジャック〟以上のハプニングである。なにしろ、芸能人・著名人という大枠をはみ出してしまったのだから。
事の経緯はこうである。
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