綿菓子製造機の移動販売がゲーム全盛期への道築いた--カプコン会長兼CEO 辻本憲三[下]

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創業者が陥るワナを徹底的に排除する

会長は大阪、社長は東京と居住は別々。二人で飲むことも十数年なかった。3人兄弟の長男である春弘社長は、高校時代から父親の会社でアルバイトをしてきた。大学卒業後、自営業を手伝う感覚でカプコンに入社し、会社のほうは瞬く間に大きくなった。「創業者の息子だからといって、周囲は遠慮しなかった。つねに、自分自身の力でポジションアップしていかなければならないというプレッシャーがあった」(春弘社長)。その言葉の奥には、周囲の目の厳しさを意識した、毅然とした決意がある。「現場たたき上げの自分が、会長の言う『トップとしての考え方』の意味を本当に理解し始めたのは、ここ半年くらいのこと」。

役員陣に対し、常日頃から真剣勝負の姿勢を求める辻本は、春弘社長に対しても容赦ない。むしろ、その態度は峻厳(しゅんげん)の最たるものと評判だ。時に社長判断を「ミスジャッジ」とこき下ろす。が、とにかく現場に関しては全権委譲。形だけ息子に譲るが実質は任せ切れないという、創業者が陥りがちな愚を絶対に避けたい。堀への春弘社長支援要請は、自分が課す厳しさとの表裏一体なのだ。

辻本の親友、ファンケル創業者の池森賢二は言う。「創業者というのはいかに会社を潰さないかに全神経を使うもの。辻本さんの場合、それが徹底した数字の管理に表れてる」。

カプコンが近頃唱えるキャッシュフロー経営。それが本当に定着したのはここ10年内のことである。高性能の据置型ハード、プレイステーション2が出た後の04年3月期から、2期連続の最終赤字に陥った。開発重視のあまり、予算オーバーや進捗遅れが頻発した結果だった。

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