綿菓子製造機の移動販売がゲーム全盛期への道築いた--カプコン会長兼CEO 辻本憲三[下]
上場後は調子のよかったカプコンだが、海外事業の不調などで赤字転落寸前だった。心新たに、コンサルティング会社の意見を聴きたいと言う。勇んで出掛けていった堀の提案を、しかし、辻本は真っ向から否定してかかる。「ああ言えばこう言う。何を言ってもダメ」(堀)。3時間にわたり「それは間違ってる」「そんなもん必要ない」と言われ続け、堀はついに顧客の前で席を立った。だが翌週、辻本はころっと態度を変えて電話してきた。「ご飯でもどうですか」。否定形から始まる会話は14年経った今も相変わらず。
主張の強い二人の関係は、近づいたり疎遠になったり。ただ一つ、4年前の辻本の長男、春弘への社長兼COOの座継承を機に、堀は心に誓ったことがある。「あるとき憲三さんから『堀さん、何があっても春弘(現社長)のことをいつまでも応援してやってくれ』と言われた。そのとき(自分が)最大の応援者になると約束した。だから万が一、あの二人が対立するようなことになったら、俺は春ちゃんの味方をするよ」。
カプコンにとって、創業者・辻本憲三の存在そのものがリーダーシップである。となれば、後継者、春弘社長のハードルはおのずと高い。まだ40代の長男を社長に就けた際、社内外からは応援とともに、疑問の声も上がった。若い長男への社長継承を、辻本自身はこう語る。「いちばん(うまくいく)可能性が高いと判断したから。社内を見渡して最適任だった。(任せると決めたからには)経験は早いほうがいい。社長の立場じゃないと社長の勉強はできない」。さらにこう付け加える。
「彼は資質はいい。最大の資質は、社長として勉強しようという真摯な気持ち。社長という座にあぐらをかかない。でも経験は足りない。今、彼は僕を横で見ながら経営の最高責任を負うCEOとは何たるかを勉強している。(CEOの座を譲る)時期は僕が判断するんでしょう。まだ少しかかるやろうね」。