エルピーダ坂本氏の遺言「日本はKOくらってない」 「日の丸半導体」を背負った野武士の規格外経営
「日本はまだKOはくらってません これからです 皆様の画期的な発相でもう一度 再出発です。坂本幸雄」(原文ママ)
2012年に経営破綻したDRAM専業メーカーのエルピーダメモリ(現マイクロンメモリ ジャパン)。2002年から2013年まで同社の社長を務めた坂本幸雄氏が2月14日、心筋梗塞のため死去した。76歳だった。
亡くなる前日の夕方まで、坂本氏とメールのやり取りをしていた東京理科大学大学院の若林秀樹教授は、「今年に入ってからも、日本の半導体政策について意見交換をさせていただいた。日本が半導体で盛り上がる中、坂本さんが亡くなったことに因縁を感じる」と惜しんだ。
冒頭の坂本氏のメッセージは、東京理科大学大学院のMOT(経営学研究科技術経営専攻)の学生に対して送られたもの(右写真)。2020年から客員教授に就任、社会人学生に講義を行っていた。
倉庫番から副社長へ
日本体育大学を卒業後、アメリカの半導体メーカー、テキサス・インスツルメンツ(TI)の日本法人に入社した。「書類にJapan Physical Universityと書いたら、Physical(体育)をPhysics(物理)と勘違いされた」というエピソードは坂本氏の定番のジョークだった。
最初の仕事は倉庫番。そこから実力主義の外資系で頭角を現し、24歳で課長に就任して日本法人の副社長まで上り詰めた。その後、複数企業を渡り歩き、半導体業界では知る人ぞ知る人物となった。
エルピーダは日立製作所とNECのDRAM事業を統合し1999年に発足。のちに三菱電機のDRAM事業も合流した「日の丸DRAMメーカー」だ。しかし、鳴り物入りで誕生したエルピーダだったが、出身母体3社のたすき掛け人事で意思決定は遅く、高コスト体質で赤字が続いてきた。
その流れを断ち切るため、2002年にプロ経営者として招聘されたのが坂本氏だった。経産省の当時の担当官は「総合電機出身の経営陣には、戦略も胆力もなかった。その点、坂本さんは規格外の経営者だった」と振り返る。
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