エルピーダ坂本氏の遺言「日本はKOくらってない」 「日の丸半導体」を背負った野武士の規格外経営
このよそ者に対して、エルピーダ役員陣は「坂本君は体育会系で勢いがあるよね」と語るなど、お手並み拝見といった雰囲気だった。坂本氏は当時を振り返り、「僕は一度もリストラをしたことはないが、副社長とかいらないから親会社に戻ってもらった。エンジニアやオペレーターを切ろうなんて夢にも思わない」と語っていた。「エルピーダは捨て子だった」とも漏らしていた。
いったんはエルピーダの黒字化に成功した坂本氏だったが、抜本的に立て直すことはできず赤字と黒字を繰り返すことになる。そうした厳しい環境下、エルピーダは2003年に約1700億円、2004年の株式上場時に1000億円を調達、広島工場へ果敢な設備投資を行った。並行して、台湾企業の買収や提携を進めるなど、攻めの戦略を繰り出していった。
半導体ビジネスには、好況と不況を繰り返すシリコンサイクルがある。メモリ最大手の韓国サムスン電子は、不況時でも巨額の設備投資を実施しシェアを拡大していた。坂本氏はこの勝負に何とかついていこうと必死だった。
危機の連続、ついに経営破綻
しかし、リーマンショック後の2009年3月期には1788億円の最終赤字を計上。この時は「産業活力再生特別措置法」を申請し、経産省のバックアップを受け、日本政策投資銀行への優先株発行で300億円を調達するなどして乗り切った。ただ、苦難はこれで終わりではなかった。
2011年の東日本大震災後、一時1ドル75円をつけた空前の円高でエルピーダの経営は火の車となった。当時、エルピーダの経営危機を懸念してアップルの担当者が来日し、政投銀に「DRAMは非常に重要。エルピーダをサポートしてほしい」と何度も要望したが「DRAMは日本に必要ない。韓国からでもどこからでも買える」とにべもない対応だったという。
坂本氏は資金調達のために毎週のように海外へ飛び回ったが、交渉はまとまる寸前で次々と頓挫。そして2012年2月27日、エルピーダは会社更生法の適用を申請した。負債総額は4480億円。
この時、坂本氏は取引金融機関にも更生法申請を悟らせず、直前には預金の一部を引き出すなどもした。このことで今も坂本氏を恨む関係者がいることは事実だが、坂本氏にとっては、エルピーダの事業を継続させるための窮余の策だった。エルピーダは2014年にマイクロン・テクノロジー傘下となり、旧エルピーダ・広島工場は今も日本で唯一のDRAM工場として稼働している。
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