福永祐一「調教師への転身」延期して良かった理由 自分に言い訳し、今いる場所から逃げようとしていた

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改めて振り返ってみると、何がすごいって、気づいたら牙を抜かれていたという状況を作った豊さんだ。豊さんがそうした状況を意図的に作ったのかどうかは別として、自分がトップに立つために、相手の心をへし折る、牙を抜く、闘争心を削(そ)ぐというのは、ものすごく大事な戦術だ。

勝負の世界では、「この人には敵わない」と思わせた時点で勝ち。何年もの間、多くのジョッキーをそう思わせ続けた豊さんは、本当にすごいと思う。

理論派の騎手と感覚派の騎手の違い

「競馬界屈指の理論派」──自分は長らくそんな見方をされてきたが、実はそう言われることをあまり歓迎していない。なぜなら自分の場合、天才でなかったがゆえに、勝ち続けるには理論を突き詰めるしか術がなかったから。そうせざるを得なかった結果だからだ。

もちろん、考えて乗ることは大事だ。感覚派と言われる人であっても、何も考えずに乗って勝てるほど競馬は甘くない。ただ、感覚派の人は、理詰めでは乗らない。

本音を言えば、自分も感覚を駆使して勝ちたかったし、感覚派と呼ばれる面々に入りたかった。

馬は生き物であり、人間がそうであるように、一日として同じ精神状態、同じ体調の日はない。だから、ジョッキーは感覚で勝てるのが一番。今でもその思いは変わらない。

自分の中で「究極の感覚派」といったら、やはり岩田くんだ。感覚で馬を速く走らせることができるのだが、あくまで感覚だから、その手法を人に伝えるのは難しい、というような。それこそ天賦の才。彼はそういう才能の持ち主だと思っている。

ちなみに、豊さんも感覚派に近いイメージがある。あくまで自分のイメージだが、周りが思っているほど理論に頼らず、豊さんならではの感覚で乗っているような気がする。若い頃はプライベートでずっと豊さんと一緒にいたのに、一度もそういう類の話をしてくれたことがないため、真偽のほどは定かではないが(笑)。

一番仲が良い後輩として長い時間を共に過ごしてきた(川田)将雅は、自分と同じく、とことんまで考えるタイプだが、自分と違うのは騎乗センスがあること。将雅が競馬学校生の頃、トレセン研修に来た際に、将雅たちの期が馬に乗っている姿を一緒に見ていた四位(洋文)さんが、おもむろにこう聞いてきた。

「祐一、この期で誰が一番伸びてきそうだと思う?」

「川田じゃないですか」

自分は即答。ほかの子とは〝鞍はまり〟が全然違ったからだ。

〝鞍はまり〟とは、簡単に言うとパッと馬に乗ったときの安定感であり、安定感があれば、必然的にフォームも美しい。それは、いわゆるセンスであり、当時から将雅のセンスの良さは目についた。

将雅は人づき合いが苦手で、最初は苦労したわけだが、センスのある人間が人一倍努力をすれば、やっぱり強い。2022年に6年ぶりとなる日本人リーディングを獲り、史上4人目の騎手大賞(最多勝利、最高勝率、最多賞金獲得の3部門すべてでトップだった騎手に与えられる賞)に輝いたときも、まったく驚きはなかった。

センスがあっても思ったように頑張れなかった人もたくさんいるから、やはり「努力をすること」「その努力の方向性を間違わないこと」が大事なのではないかと思う。

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