鶴見・南武・相模線の「消えた支線」知られざる歴史 砂利や貨物輸送、京浜の工業発展を支えた鉄路

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また、河川敷の砂利採取場から川寒川停車場まで、砂利の「小運搬ノ軌道」(第四回事業報告書)が延びていたという記述も見られる。地形図の河川敷に描かれている線路がこの軌道であり、おそらく採取した砂利をトロッコのようなもので停車場まで運び、貨車に積み込んでいたのだろう。

川寒川支線は1931年11月に廃止された。廃止の理由について寒川町観光ボランティアガイドの森和彦さんは、「理由について明確に書かれた資料は今のところ見つかっていないが、1933年に日本初の広域水道となる神奈川県営水道が創設され、1936年には給水が開始された。おそらく川寒川の砂利採取場所と、取水場所が重なったのではないかと推測している」という。

川寒川支線 廃線跡
川寒川支線の廃線跡である相模川の河川敷(筆者撮影)

砂利の枯渇が廃止の要因に?

加えて、川寒川支線の廃止については、次のような情勢も考慮すべきだろう。相模鉄道は1931年4月に厚木―橋本間を延伸開業(全通)させ、同時に厚木以北の砂利採取場の採取権の獲得も進めた。「第二十七回事業報告書」(自1934年12月 至1935年5月)には、入谷停車場(当初は砂利発送用の貨物駅)の設置と座間新戸駅(現・相武台下駅)付近に敷設した砂利採取線についての次の記述が見られる。

「現在採掘中ナル寒川村及有馬村地先相模川ノ砂利ハ余命僅少トナリシヲ以テ今回上流ノ海老名村、座間村及新磯村地先ノ採掘ヲ計画シ新ニ入谷停車場ヲ設置シ又座間新戸停車場ノ側線ヲ延長シテ来期ヨリ営業開始ノ予定ナリ」

橋本までの路線延伸にともない、砂利が枯渇しはじめていた下流域から中流域へと採取場所が移っていった様子がわかる。川寒川支線の廃止は、こうした変化の影響も受けたものと見るべきだろう。

さて、今回は鶴見線、南武線、相模線の支線跡をたどった。廃線になってから、すでに長い時間が経過し、残る資料や痕跡も少ないが、沿線の産業発展に貢献したのはもちろん、輸送した砂利や石灰石などが、東京や横浜など都市の復興・発展にも大きく寄与したことは間違いないのである。

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森川 天喜 旅行・鉄道ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載開始

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