大量閉店「イトーヨーカドー」どこで間違えたのか 時代の波についていけず、戦略の変更も遅れた
ちなみに閉店したイトーヨーカドーの店舗が居抜きでそのままドンキになる例は多く、それもまた、ドンキとイトーヨーカドーの現在の姿を表しているような気がする。
時代の波についていけなかったのが敗因か
イトーヨーカドーの歴史を紐解いていくと、ある段階から時代の波についていけなかったことがわかる。
そして戦略の変更を行おうと思ったときには、時すでに遅し、「個店主義」ではドンキがすでにリードしていたし、ヨーカドーの強みでもあった「集中」でいえばライフのほうが徹底していた。
ある意味で、すべてが中途半端になってしまったのが、現在のイトーヨーカドーの姿なのであろう。
北海道・東北の店舗を閉鎖し、都心店に注力するというのが、今回のイトーヨーカドーの施策である。それはある意味で、下町から出発した、地元密着型のスーパーに先祖帰りするということを意味しているのかもしれない。
今回の記事では、日本の商業の歴史の中でイトーヨーカドーについて、マクロな視点から見てきた。では、実際に都心店を中心にしたとき、ヨーカドーにはどのような「勝ち筋」があるのか。
次の記事では、東京23区にあるイトーヨーカドー全15店を回って見えてきた、ミクロな視点でのイトーヨーカドーの「勝ち筋」について考えてみたい。
(16日19時、編集部追記)後編が公開されました↓
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