ジェイコブズ対モーゼス ニューヨーク都市計画をめぐる闘い アンソニー・フリント著 渡邉泰訳 ~開発か保全か、思想が現実を動かす
本書は、『アメリカ大都市の死と生』『都市の原理』などの著者として知られるジェイン・ジェイコブズと、ニューヨーク州の公共事業を仕切ってきたロバート・モーゼスとの対決の物語である。
評者は、学生時代から、ジェイコブズの都市の発展の論理と生き生きとした叙述に深く魅了されてきたが、本書を読むまで、彼女が実践家でもあることを知らなかった。
一方、モーゼスは、市と州の公共事業担当者として、13の橋、二つのトンネル、637マイルの高速道路、17の州立公園、2万8400戸の高層住宅を建設し、マスター・ビルダーといわれた大物である。
ジェイコブズが、広く注目された論文「ダウンタウンは人々のものである」を書いた1958年当時、都市は用途によってゾーニングされ、高層ビルの間を高速道路が結ぶべきと考えられていた。しかし、ジェイコブズは、「これらのプロジェクトは下町を活性化するどころか、死に至らしめている。確かに安定し、左右対称、そして秩序正しい。清潔で印象的で堂々たるものだ。まるで手の行き届いた立派な墓ではないか」と書いた。都市計画家とは、地域社会に大きな変化を押し付けておいて、その結果をきちんと評価しようともしない傲慢なうぬぼれ屋にすぎないとジェイコブズは思うようになる。
当時、モーゼスとゾーニング理論は絶対権力を有していたが、ジェイコブズはそんな権力を恐れなかった。米国の奥深さは、多くの有力者が、そんな彼女に発言のチャンスを与え続けたことだ。同時に、彼女は、著述家から運動家にもなっていた。55年、彼女の愛していた公園、ワシントンスクエアパークを、モーゼスが分断して4車線の道路を通そうとしたからだ。そこから、彼女とモーゼスの長い闘いは続く。しかし、70年代になるとモーゼスの敗北は明らかになる。モーゼス的な都市計画は実現されなくなる。さらに80年代になると、モーゼスが建設したいくつかの道路は取り壊されるまでに至る。
彼女は、率直に事実を見ることで、誤りを見いだし、自らの考えを整理した。その勝利は、思想が現実を動かした希有な例だが、それは当時の主流派の思想が間違っていたからだ。広い街路と高層アパートの組み合わせは、セントルイスのブルーイット・アイゴー住宅のように、よりひどいスラムを生みだしただけだった。東日本大震災からの復興でも日本はジェイコブズから学ぶべきだ。評者には、神戸市長田区の、空き家の多い復興住宅と商業施設が、モーゼスの失敗に見える。
Anthony Flint
米マサチューセッツ州ケンブリッジのリンカーン土地政策研究所に所属。米ミドルバリー大学卒業後、コロンビア大学グラデュエイト・スクール・オブ・ジャーナリズムを卒業。ジャーナリストとして25年間、主にボストングローブに勤務した。
鹿島出版会 3150円 318ページ
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