「関西風おでん」食べる人が知らない驚きの歴史 薄味が特徴だが、昔は真っ黒で濃い味だった
1907年大阪生まれの歴史学者・宮本又次によると、大正時代の屋台の“煮え詰まった関東煮は黒ずんで見えた”(『関西と関東』)。宮本によると関西と関東のおでんの違いは、味や色の濃い薄いではなく、出汁を使うか否かなのだそうです。
1888年大阪生まれの画家・鍋井克之にとっても、子供の頃から関東煮といえば真っ黒。
1962年に出版された『大阪ぎらい物語』においても、当時の造幣局の花見屋台、天王寺境内の屋台、海水浴の茶店、西宮球場周辺の店の関東煮は真っ黒だったと書かれています。どうやらこの頃(昭和30年代)までの関東煮は、まだ真っ黒だったようです。
そんな鍋井克之が薄味のおでんに出会ったのは、大阪ではなく東京の銀座においてでした。
薄味の関西風おでんは銀座生まれ?
上方の噺家桂米朝が 「関西風関東煮」という奇妙な店に出会ったのも銀座でした。
牧羊子にとっても、薄味の関西風おでんは銀座あたりのもの。関西へは東京から逆輸入されたのだそうです。
新井由己によると、薄味のおでんの老舗といえば1929年創業の銀座「一平」(現在は日本橋に移転)。
どうも関西風の薄味おでんの元祖をたどっていくと、関西ではなく、東京の銀座に行き着くのです。
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