地方都市の「ファスト風景化」勝手に憂う人の病理 車なしで暮らせる都会人の「一方的な郷愁」だ

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そこで、結論。その大きな理由が「私たちは自動車が作り出す都市の姿に慣れていない」ということなのだ。

どういうことか。ちょっと思い出してほしい。「批判者」たちは、ファスト風土の代わりに、どのような街を良い街として想像していたか。

「個性豊かな地元商店街」

「人と人との心が触れ合える街」

「人の顔が見える街」

想像してほしい。そこにはどんな「乗り物」があるだろう。

思い浮かべた画に「乗り物」はないんじゃないだろうか。あるとしても、「自転車」ぐらいだろうか。そう、こうした都市、実は「歩行」をベースにした街なのである。こうした街には「自動車」の陰がない。

批判者たちが述べる街の姿が「歩行」をベースにしていること事態、実は結構な大問題だと私は思っている。

おそらく、こうした彼らの言う「理想の街」で使われている交通機関は「電車」だろう。電車があって駅があって、そこを中心にして街が発達している。そんな風景を想像するのではないか。『ファスト風土化する日本』を書いた三浦自体が、例えば東京都の中央線沿線の街(高円寺など)を優れていると書くことが、象徴的かもしれない。

ちょっと想像してほしい。駅があって、駅前には商店街が広がっている。商店街には人が行き来していて、八百屋やら肉屋、あるいは小物を売る雑貨屋なんかがあったりして、店主と常連が会話をしている。やっぱり、その風景に「自動車」はない。

「自動車」が作る新しい街のモード

で、「自動車」がないことの、何が問題なのか。

実は、統計によれば、日本での自動車の保有台数は年々増加している(自動車検査登録情報協会「自動車保有台数の推移」)。

つまり、現在の日本は、歴史上もっともモータリゼーションが進んでいるということだ。これは、東京などの大都市圏を除けば、日本国民のほとんどが「自動車」を使用していることを表している。

そうなると、街はどうなるか。そう、街自体が自動車にマッチした街に変わってくるのである。よくテレビなんかで駅前の商店街が寂れていることが嘆かれて報道されるが、そこから数キロ先のショッピングモールはめちゃくちゃ混んでいる、なんてことは結構ある。

そもそも、日本の街自体が駅前を中心に発達する「面」タイプから、道路沿いを中心に発達する「線」タイプに大きく変化を遂げている。実は、今書いてきたことは、東京工業大学教授の柳瀬博一が「シン・街道資本主義」と名付け、細かく説明をしていることでもある(柳瀬博一「住む場所の変化が『シン・街道資本主義』を生む訳 『街』のメディア化が導く『鉄道資本主義』の終焉」)。

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