地方都市の「ファスト風景化」勝手に憂う人の病理 車なしで暮らせる都会人の「一方的な郷愁」だ

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最初、筆者はこの「ファスト風景」を「ファスト風土」と見間違った。「ファスト風土」は評論家の三浦展が『ファスト風土化する日本』(洋泉社、2004年)で述べた言葉で、郊外のロードサイドにありがちな、どデカいチェーン店と、どデカいショッピングモールが立ち並ぶ風景を揶揄したものだったからだ。語感で気づいた人もいるだろうが、ファストフードをもじった言葉だ。

稲田豊史の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』やレジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』という本が出版され、「ファスト〇〇」がちょっとしたブームだ。で、そんな言葉の元祖的な存在がこの「ファスト風土」かもしれない。

本稿では便宜上、この後は「ファスト風土」と記載するが、「ファスト風景」と同義であろうことを、ここで断っておきたい。

さて、この「ファスト風土」だが、都市論の人間からすると、なぜ今さら……と思ってしまう。三浦の「ファスト風土」本は、2004年に書かれたからだ。

ファスト風土、ファスト風景
筆者のスマホの中にあった、ファスト風土的な写真。ガストやイオン、ガリバー、ビッグモーターの看板や店舗が見える(筆者撮影)/配信先サイトでは写真をすべて見られない場合があります。本サイト(東洋経済オンライン)内でご覧ください

Xでたまに、この手の話題が盛り上がるときがある。そのたびに否定派は「かつての日本にあった風景が失われている」と述べ、それに対して「でもチェーンストアとかショッピングモールってめちゃくちゃ便利だよね」という肯定派が反対意見を述べ、気付いたら自然とその話題は消えている。

しかし、実はこの「ファスト風土批判問題」(私はこう呼んでいる)、意外と根深い問題を持っている。ということで、今日は「なぜ、人はファスト風土を批判してしまうのか」ということについて考えてみたい。

意外と古い「ファスト風土」批判

大前提として、こうしたファスト風土を批判する論調は、SNSに限らず、実はけっこう歴史がある。日本に限っても、だいぶその歴史は古い。

先ほども書いた通り、最初にファスト風土という言葉を使ったのは三浦展の『ファスト風土化する日本』だ。ここで三浦は、チェーンストアやショッピングモール(特に三浦は「ジャスコ」を集中的に批判の槍玉に挙げている)が立ち並ぶ風景を「病理」だとして、各地域の土地の記憶がなくなっていくさまを、厳しく批判する。さらにそうした風景は、人々の交流を失わせてその心を荒廃させ、不幸にするともいう。「犯罪現場の近くにはジャスコがある」なる章も。

現在からすると、「ここまでショッピングモールが悪者に……!」という驚きさえあるが、この本は当時、かなり話題を呼んだようだ。同書がどれほど正しいかについては疑問が持たれることもあるが、この本が広く影響を与えたこと自体、当時の人々の中に「ファスト風土」を疑問視する人が少なからず存在していたことを表しているだろう。

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