「吉本興業」創業のきっかけになった"驚きの一言" 吉本せいが仕事しない夫の一言を受けて覚悟
せいは、兵庫県明石市に出生後、大阪市の天神橋という商業の中心地で、商売人の娘として育ちました。幼い頃から家業を手伝い、小学生になる頃には、一人で店番をしていたそうです。
それでいて、学校での勉強もおろそかにせず、尋常小学校を優秀な成績で卒業しています。せいの下には、7人の弟や妹がいたため、子守りもしながら、商いの手伝いや勉学に励みました。「お笑い帝国」を築き上げたせいのエネルギッシュさは、幼少期から培われたものだったのです。
3才年上の夫が遊んでばかりで働かない
しかし、18才で結婚したことで、せいの運命は大きく変わります。相手は、荒物問屋の息子で、せいより3才年上の吉本吉次郎です。この結婚によって「吉本せい」となるわけですが、「あれ?」と思った人もいるはず。
そう、夫の職業をみても「お笑い」とは全く関係ありませんよね。ところが、この夫の吉次郎は落語や芝居見物に夢中で、まるで仕事をしませんでした。
お気に入りの芸者を連れて遊び回ったばかりか、自らも舞台に立って、剣の舞いを披露することもありました。地方へと遊びにいってしまうと、1年半も帰って来ないことも……。
これではまるで、芸人と結婚したようなものです。それでも、家業がうまくいっていればよいのですが、経営は火の車でした。せいは帳簿をつけながら、ため息ばかりついていたことでしょう。
やがてせいは妊娠しますが、夫は相変わらず、遊んでばかり。ついには、実家の廃業を決めてしまいます。
吉次郎が無職になってから、3年の月日が過ぎました。幼い子供を抱えたせいは、いつ、心が折れてしまってもおかしくない状態です。
「こんな人と結婚しなければよかった……」
そんな愚痴もこぼしたくなるなか、転機は突然、訪れます。大阪天満宮の裏にある寄席が経営不振で廃業を決めると、吉次郎がこんなことを言い出したのです。
「つぶれるなら、買収して、寄席の経営をしよう」