「吉本興業」創業のきっかけになった"驚きの一言" 吉本せいが仕事しない夫の一言を受けて覚悟
これには、お笑いとは無縁のせいも「おいおい」とツッコミたくなったことでしょう。まず、寄席が廃業したのは、お客さんが来なかったからに違いありません。買収したところで、立て直すのは簡単なことではありません。
それ以前に、そもそも買収するためのお金もありません。「何を夢みたいなことを言っているの! あなたは父親なのよ!」と、一喝してなんとか働かせようとするのが、当然の反応でしょう。
しかし、せいは違いました。どうせならば、夫が一番好きなことをやらせてみようと、一か八かの賭けに出ることを決意したのです。
一度決めたら、せいの行動には迷いがありません。
資金については、せいが自分の父に頭を下げて、なんとか説得して、お金を借りることに成功。それでも足りない分は他のところをあたって、借金をしながら資金をかき集めました。
借金まみれになりながら、まさに背水の陣で、せいは吉次郎と寄席の経営へと踏み出したのです。1912年、明治45年のことでした。
客の行動を徹底分析、「えげつない作戦」も
さあ、そうなれば、なんとか寄席の経営を成功させなければなりません。
せいは寄席に来たお客さんを席に案内したり、下駄の泥を落としたりと、せわしなく働きながら、その目はしっかりと客の行動をとらえていました。
まず、せいがやったことは、客が座る間隔をできるだけ詰めて、一人でも多くの客が座れるように、わずかなすき間があれば、強引に座布団をねじ込みました。つまり、収容人数を増やすために、客を会場にすし詰めにしたのです。
また、小屋の空気をわざと入れ替えず、熱気あふれる状態にするようにしていました。息苦しくなった客が退場してくれるので、その分、客の回転数が上がるというわけです。
そこまでやるか、と驚かされますが、そのうえ、せいは客の行動原理に沿った新しい儲けのアイデアも次々と考え出しています。
夏になると、会場の暑さから寄席の客が少なくなることに気づくと、せいは1本2銭で冷やし飴の販売をスタート。ただ売るのではインパクトがないので、氷の上に瓶を転がしながら「ゴロゴロ飴、よう冷えてまっせ!」と客を呼び込みました。