品川線の駅設置基準は明白で、江戸時代から続く主要道路との交差地点が基本だった。渋谷駅は大山街道、新宿駅は甲州街道と青梅街道、目白駅は清戸道、板橋駅が中山道である。目黒駅も目黒通り(二子街道)と交差する地点にある。古くからにぎわっていた通りだ。
ところが品川線が開業した直後の明治20年代の古地図を見ると、現在とは異なる場所に目黒駅があることに気がつく。山手線は目黒―五反田間で首都高速2号目黒線をくぐるが、その少し目黒駅寄りに、徳蔵寺という古地図にもある寺があり、その付近に描かれているのだ。現駅とは500mほど離れている。
目黒駅は移転していた
今は切り通しの中になった目黒駅の西側の脇に、細い道が山手線と並行している。急坂を下ってゆくと、「JR目黒MARCビル」の前にわずかに平坦な区間がある。古地図の記述を信じれば、ここが開業時の目黒駅の跡だ。
そして、現在の目黒駅の場所には、線路予定地を横切っていた水路(三田用水)と目黒通りの下に、120mと短い永峰トンネルが掘削され、線路が通されていた。
旧目黒駅は短命で、開業からわずか5年後の1890年には早くも永峰トンネルの北側へと移された。別の場所で開業した理由は、よくわからない。現在の場所だと勾配を緩め、ホームを設けるために深く広い切り通しにしなければならず、余裕が必要であったが、用地買収がうまくいかなかったのかもしれない。
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