近鉄奈良線「お寺の賽銭で資金調達」伝説は本当か 沿線の宝山寺資料で解き明かす当時の実情
『大阪電気軌道株式会社三十年史』には「会社としてはその支払に窮した結果、電車停留所の出札口から五銭十銭の小銭を掻き集めて、辛うじて支払ったこともあった。また毎月二十五日の社員従業員の給料支払日は、会社にとっては大苦痛で、此所彼所から、金を借り集め、暫く燈のつく頃に至って、これを渡すといった工合(具合)、時には生駒の宝山寺に頼んで、電車の回数券や参詣券を何千円と買って貰って、社員従業員の給料に充てたこともあった」とある。
ここで冒頭の「賽銭」が登場するのである。
前記の『三十年史』には「時には生駒の宝山寺に頼んで」との記述はあるものの、実際には金森支配人が宝山寺に駆け込み「賽銭を貸してもらった」というわけではなく、乗車券類のまとめ買いに協力してもらい、その代金を賽銭で受け取ったということのようである。その後、金森支配人は賽銭を給料袋に詰め、従業員に渡していったのだそうだ。その給料袋はそれはそれはズッシリと重かったそうである。
当時の領収書と住職の想いが綴られた文章が宝山寺資料室に残されている。
「参拝者雲集す、之れ実に大軌開通の賜(たまもの)にして、生駒聖天ありて大軌あり、大軌あって聖天の殷盛(繁盛)を見る」
開業時の大軌と宝山寺の関係をよく表しているといえるだろう。
経営再建に成功した本当の事情は?
その後大軌は経営の再建に成功する。1915年、大軌は一部の債権者からの提案をきっかけに債務整理と会社再建の協議が進んだ結果、優先株と社債の発行で550万円を調達し、ようやく窮地を脱することができた。
大軌が救われたのは、確かに宝山寺の協力のおかげでもあるのだが、実のところこの再建案によるところが大きかったようである。この5年間の金森氏の金策の苦労があったからこそ、今日の近鉄、そして沿線の発展があるといえるだろう。
『近畿日本鉄道100年のあゆみ』は「周到な計算と熱心な議論の末に下したこの英断こそ、現代における当社の礎となっているのである」と振り返る。
「賽銭」がなかったら今日の近鉄はなかったかもしれないというこの“都市伝説”、はたしてどこまで本当か、信じるか信じないかはあなた次第だ。だが、創業時の苦境を乗り切るのに宝山寺の協力があったことは、寺に残る領収書などさまざまな資料が示している。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら