バイデンとトランプ、「究極の選択」ならどっちだ 「地政学リスクだらけ」の2024年がやって来る

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トランプ氏はしばしば、「私が大統領であれば、戦争は起きなかったはずだ」とうそぶいている。「(ウラジーミル・)プーチンはウクライナ侵攻を思いとどまっただろうし、中東の混乱もなかったはずだ」と言うのである。

この言葉には一面の真実が含まれていて、トランプ氏は「予見不可能性(Unpredictability)こそが自分の強み」であることを熟知していた。要するに、「あの人は何をするかわからない」と思われていた。実際にトランプ氏は4年間も、世界最強のアメリカ軍の最高司令官であったわけだから、今から考えればかなりおっかないことであった。

それとは対照的に、バイデン氏は長いキャリアを持つ政治家であり、特に外交分野で活躍してきた。冷戦時代を記憶しており、世界中に古い知己が居て、判断は常識的である。ロシアに対する外交も、それほど間違った手を打ってきたとは思われない。それでも2021年6月、ジュネーブで米ロ首脳会談に臨んだ際には、「この男、くみしやすし」(少なくとも前任者に比べれば)とプーチン氏に思われてしまった気配はある。

実際にプーチン氏はその翌月、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論考を書いている。これが実に身勝手な論理構成なのである。

すなわち歴史的に鑑みると、ロシアの庇護の下においてのみウクライナの繁栄は可能であった。ところが彼らは西側の操り人形となり、反ロシア運動の手先となっている。本当にウクライナのことを思っているのはロシアだけなのに……と、まるで家庭内暴力を正当化するストーカーのように、ウクライナに対する怒りをるる書き連ねているのである。

だからといって、まさか本当に戦争を仕掛けるとは誰もが思わなかった。プーチン氏がそんな冒険をやらかしたのは、「今度のアメリカ大統領は怖くない」と考えてしまったからではないか。つまり予見可能性の低い指導者の後に、ごくまともな指導者が登場すると、アメリカの抑止力が著しく低下するという副作用があったのではなかったか。

来年の最重要事項はやっぱりアメリカ大統領選

「抑止力」という言葉は、しばしば「兵力が何万人」「軍艦が何隻」「ミサイルが何発」といった「量」の問題を指すことが多い。ところが「質」も重要なのである。軍隊の規模といったデジタルな問題よりも、指導者の性格というアナログな問題により大きく左右されてしまったのが、「トランプ後」の大荒れの国際情勢なのではないか。

今ではトランプ氏の「予想不可能性」は、すでに世界中の人が知るようになっている。来年の大統領選挙でトランプ氏が勝利し、第47代大統領になるとした場合、それで世界が平和に戻るかと言えば、そんなことはないだろう。むしろ日本のような同盟国が、「何をするかわからない」大統領に振り回されることになるのが関の山ではないだろうか。

今の日本には、巧みにトランプ氏との好関係を構築し、ニューヨークタイムズ紙から「猛獣使い」と評された安倍晋三氏ももう居ない。2024年の世界を考える場合、やはりアメリカ大統領選挙こそがいちばんの重要事項ということになるだろう(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

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