拙著『きみのお金は誰のため』の中では、主人公の優斗と投資銀行で働く七海が、同じ不安を抱いているのだが、それに対して、先生役の“ボス”が明快に答えている。
七海は、まだ引っかかっているようだった。
「幸せを目的にしたほうがいいのは、私も同感です。(中略)将来、ロボットやAIが人間の仕事を奪う恐れも指摘されています」
お金が稼げなくなるのは困る。AIの活躍する未来に、優斗は不安を覚えた。
ところが、ボスの考えはまるっきり反対だった。
「経済は、ムダな仕事を減らしてきたから発展できたんや」
「どういうことですか?」と七海がたずねる。
「昔は、大勢が鍬や鋤を持って、田畑を耕しとった。トラクターなんかの機械ができたおかげで、仕事は激減した。そうして手のあいた人たちが、新しい仕事に取り組んで、新しい物を作るようになったんや」
『きみのお金は誰のため』94ページより
100年前に比べて、食費が所得収入対比0.29倍になったということは、食料の調達のために働く人たちの割合がだいたい3割になったことを示している。7割の人たちが失業したのである。
ところが、100年後の現代では失業者があふれているわけではない。生産者としての僕たちは、椎茸の採集や豆腐の生産のために大人数で働かなくてもよくなったから、携帯電話やパソコンを作る製造業に人材を投入できるようになった。
「雇用を守れ」という言葉は一見正しそうだが、雇用を守るだけでは、新しい分野に人が流れない。少子高齢化の進む日本では人手が足りない分野が増えつつある。例えば介護の分野では、毎年必要な人材が3万人ずつ増えると言われているし、IT技術者だってまったく足りていない。
インターネットなどの情報産業の分野ではかなり出遅れた。iPhoneやiPadなどの情報端末や、GoogleやYouTube、Netflixなどのアプリケーションなど、日本は海外製品に頼らざるをえない。教育の分野でも人手不足が深刻化していて、地域によっては公教育が崩壊している。
新しい仕事が増えなくても大丈夫な条件
しかし、さらに反論する人もいるだろう。「新しい仕事が増えなかったらどうなるのか」と。小説の主人公である優斗も、こんな問いをなげかける。
「新しい仕事が増えなかったら、やばくないですか?」
当然の心配だと思ったが、それこそがお金に囚われている証拠だとボスは言う。
「100人の国の話と同じやで。僕らが食べているのは、お金やない。パンが必要なんや。ロボットが活躍して仕事が減っても、生産されるパンは減るどころか増えるやろう。それなのに、生活できない人が増えるなら、パンを分かち合えていないってことや。せっかく仕事を減らせたのに、会社のえらい人や仕事のできる一部の人だけが得をしているという状態なんや」
『きみのお金は誰のため』95ページより
生産効率を上げることや「分かち合う」ことができなければ、賃金を上げることはできないだろう。小説の中では中学生でも理解していることだが、さて……。
田内 学
お金の向こう研究所代表・社会的金融教育家
著者フォロー
フォローした著者の最新記事が公開されると、メールでお知らせします。
ログインはこちら
著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。
たうち・まなぶ / Manabu Tauchi
お金の向こう研究所代表・社会的金融教育家。2003年ゴールドマン・サックス証券入社。日本国債、円金利デリバティブなどの取引に従事。19年に退職後、執筆活動を始める。著書に『お金のむこうに人がいる』、高校の社会科教科書『公共』(共著)など。
ログインはこちら