いい質問者は論争せず窮地に追い込まない--『「質問力」の教科書』を書いた御厨 貴氏(東京大学先端科学技術研究センター教授)に聞く
──政治家、官僚、企業人で、それぞれ口述に特徴がありますか。
政治家は、自分が政治のある場所で、どういう位置を占めていたのか、語りたがる。語る話は、いずれも一種の活劇ドラマになる。向こうがこう言ってきたから、俺はこう言ってやったというたぐいで、場面の設定もある。また、大抵が友敵関係になっている。類型化していえば、最終的にあいつをぶん殴ったら仲良くなったといった、ややヤクザっぽい話が多い。官僚の相手をした際の話は、困っているときに法律を通してやったといった一つのドラマ仕立てで描かれる。そのドラマには当然、誇張もあればうそもある。そこは聞き手が見抜いていかないといけない。
──官僚や企業人は。
行政官は基本的に、自分たちがその省庁の政策をいかにうまくやったかという話になる。何人かの匿名であっても、遠慮しながらだが、結局、自分が中心だったという話をする人が多い。別の人に聞くと、あれは彼が中心でなくて、ほかの人だったということもしばしば。政治家も行政官も、手柄話をしたがる。
一方、経営者の場合は、オーナーであっても、会社という組織がいかに伸びたか伸びなかったかの話になって、政治家や官僚とはだいぶ違う。自分個人についてより、会社という組織全体の話を好む。
──その際、うそはどう見抜くのですか。
用意周到に準備はするが、細かい点を後で調べ直すことはある。しかし、だいたいは話を聞きながら直感でわかるものだ。露骨にうそを言うのではなく、言いよどんだり、よくは覚えていない、そのことは忘れたなどと付け加えたりする。そういった逃げた部分について、別の面談の機会に何回か質問してみたり、聞く角度を変えたりして確かめる。後藤田氏の場合は、しゃべりたくないことははっきりと拒否した。自分は詳しくは知らないと言ったときには、二度と質問をしてはいけないという合図だった。
本人が確信犯であれば、うそはわかると思っているが、自分にとって嫌な記憶について、あるときから作り話を思いつき、それを本当だと本人が思っている場合がある。そのことについていろいろなところで鮮明な記憶でよくしゃべっている人は警戒する。お話ができていて、自身ではうそを言っているつもりはないが、事実と違う場合がある。