このように事実究明が困難な制約ゆえか、調査チームの弁護士たちは報告書の書き振りに細心の注意を払っているように見える。たとえば報告書のはじめに「本件調査の前提」との項目があるが、わざわざ書くまでもない「当たり前のこと」を記している。
個々の文章にしても、肝心のいじめやハラスメントの有無については「奥歯に物が挟まったような表現」に終始している。
「故人の休演理由がAとの人間関係の悩みであったと認めることはできない」
「ヘアアイロンの件の当事者らの供述を、劇団に都合の良いように変遷させた動きは認められなかった」(強調は筆者による)
このように報告書はじつは「いじめやハラスメントがなかった」とはまったく断言していない。あくまで「調査では認められなかった」としか書いていないのだ。
過密スケジュールについては認められた
その一方で、報告書では「断言できる事実」として「過密スケジュール」を挙げている。「いじめやハラスメント」は「認められ」なかったのだから、提言はおのずと「過密な公演スケジュールの解消」や「過密な稽古スケジュールの改善」になる。
「過密スケジュール」であることは、なにも弁護士に調査を依頼するまでもなく、公演日程を見れば明らかだ。劇団の問題が「過密スケジュール」に集約されれば、責任の所在はおのずと曖昧にならざるをえない。というのも、公演や稽古のスケジュールは年々、過密になるものだろうから、明確な「犯人」を見いだしにくいからだ。
劇団の「苛烈な体質」から世間の注意をそらし、なおかつ、現役のトップスターや劇団幹部に責任が及ばないようにするには「最適解」のようにも思える。この都合の良い結論は、本当に偶然によるものだろうか。
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