「1型糖尿病の息子」のため野球塾つくった父の決断 5歳で発症、右腰のポシェットが命綱

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祖父と父に続き、甲子園を目指すという息子の思いはうれしくもあった。なんとかならないか…。「今から俺が付き添って、毎日練習すれば、間に合うかもしれないな」。そんな思いを口にすると、会社のスタッフでもある英里さんが思わぬことを言い出した。「だったら、あなたがチームを作ればいいんじゃない。会社は午後4時までにして、毎日あなたが、照に教えてあげて!! 」。

こうして、チームの母体となる野球塾が始まった。慶さんの球歴を知る2人が「池田さんがやるなら」と、すぐに子供を入塾させてくれた。送り迎えと平日の自主練習2時間&1時間自習の組み合わせは評判を呼び、塾生が増えていった。

この春から日本ポニーリーグベースボール協会に本格参加。初出場する大会前、照がインスリンポシェットを装着してプレーすることを説明するため、親子で協会に訪れた。協会幹部は「一緒に野球をやりましょう。つらいことを自分で説明してくれて、申し訳なかったね」と頭を下げたという。慶さんは「今まで遠慮しながらやらせてもらっていた部分もあったから、この言葉はうれしかったですね」。

母もやりがい「野球を通じて幸せに」

かつては、わが子の病気のことで、自分を責めたことがあった英里さんは仕事を終えると、塾の手伝いに駆けつける。「わが家は野球のおかげで楽しく家族のだんらんがあります。野球を通じて幸せなのだから、他のみなさんにも感じて欲しいですね」と、わが子のように塾生を迎えている。

投光器と月明かりに照らされる中、左打席の照がティー打撃を始めた。リラックスした構えで、グリップエンドからボールに向かって行振り抜く。力強い武骨なスイングは長距離砲の可能性を感じさせる。慶さんは「野球を始めてから2年半でここまで来ました」。低血糖になり1度だけ練習場で倒れたことがあった。生涯、病気と付き合い続けることに変わりない。照は再び立ち上がった。

君の夢を教えて欲しい。「メジャーリーガーになりたいです」。甲子園に行くために家族で始めた野球塾の夢が大きくなっていた。練習が終わると、重い扉がゆっくり開いた。イノシシに負けじと、夢を追う球児が突き進む。

(特別編集委員・久我悟)

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